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水は低きに流れる-幸せへの四重奏vol.21-

元渕 舞ボロメーオ弦楽四重奏団ヴィオラ奏者


ニューイングランド音楽院に勤めて、この9月で20年目に入る。教壇に立つことは、ボロメーオ弦楽四重奏団に付随してきた仕事で、志望したわけではなかったが、この仕事なしに現在の私はないと思う。
音楽院で教え始めたのは、26歳のとき。学校からは、年齢は非公開で、教授らしい服装で教えてくれと言われた。私より年上の学生がたくさんいたからだ。

私はむしろ、これまで自分も学生だったのだから、相手の立場に立って物事を見られるのではないかと考えた。学生との間に壁を作らず、いつでも気軽に話せる私でいようと思った。いまでも学生から「元渕教授」と呼ばれると、「そんな年じゃないんだから、マイと呼んで」と言っている。
世界中から集まり、育った環境や言語も違う学生たちに室内楽を教えるのは、至難の業だった。その中に、私の指摘を無視する、反抗的な態度の男子学生がいた。彼は弦楽三重奏のグループを組んでいた。ほかの二人は私のアドバイスを素直に聞き、技術が向上しているのに、彼だけが無視するものだから、二人は困り果てていた。

私は主任教授に、彼の境遇を聞いてみた。すると、彼がベルリンの壁崩壊前の、東ドイツの貧しい村で育ったことや、生活もやっとという状態の中で奨学金を得て音楽院に来ているため、自分に相当なプレッシャーをかけていることなどを知った。
そのとき、ふと父の言葉を思い出した。「水は低いほうに流れる。心を常に低くしていれば、人の心は必ず寄ってくる」。それからの私は、彼の目線に合わせて考えるよう努めた。すると、彼が少しずつ私の話に耳を傾けてくれるようになってきた。
そんなとき、私のカルテットが学校で解説つきの演奏会を開いた。こっそり聴きに来ていた彼は、演奏会の後でガラリと態度が変わった。私の指導を素直に吸収し、どんどん技術が向上していった。そして迎えた彼らの最後の演奏会は素晴らしい出来だった。その後、彼から「マイのことを誤解していた」と謝ってきた。私も自分の至らなさを詫びた。

3年後、私のカルテットが演奏旅行で台湾へ行った折、台中でのコンサートに彼が来てくれた。彼は台中交響楽団の首席奏者になっていた。久しぶりに彼の笑顔を見て私は心が躍った。彼のいまの生活が充実していて、自分の中に本当の幸せを見つけていることが見て取れたからだ。あの努力は無駄ではなかったと、私は涙が出そうになった。

天理時報2019年5月26日号掲載