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トークショー「山の辺の道を歩いて」作家:片山恭一氏


道友社は先月2日、「WAY書店TSUTAYA天理店」の店舗内イベントスペースを利用して、〝セカチュー〝こと『世界の中心で、愛をさけぶ』の代表作で知られる作家・片山恭一氏によるトークショー「山の辺の道を歩いて」を開催した。その内容をダイジェストで紹介する。

 僕が初めて山の辺の道を歩いたのは、いまから6年ほど前、時期は3月。石上神宮から長岳寺へ向かう道の印象が、非常に感銘深いものだった。
 実は、その前年の12月末に父を亡くした。亡くなったばかりのころ、自分がどう悲しんでいいのかよく分からないような状態が続いた。3カ月くらい経ち、少しずつ、やっぱりいなくなったんだなという実感が伴うようになり、ちょうどそのころ、初めて山の辺の道を歩いた。
 歩きながら、なぜか亡くなった父を身近に感じ、父のことを自然に思うことができた。

「魂」の現代的表現

「魂」という言葉があるが、僕らは現代の日常で、この言葉がうまく使えなくなっていると思う。
 民俗学者の柳田國男は、かつての日本の伝統的な暮らしは「祖霊信仰」が中心だったと言う。
 亡くなった人の霊魂は、年忌供養のようなものを受け、だんだんと先祖の霊に吸収されていく。そして50年くらいで、その人の人格が固有性を失い、先祖の霊に集約されていくという。
 先祖の霊は、いつもはどこか高い山のほうにあり、盆、正月、彼岸になると里に降りてきて、子孫と会食し、一緒に楽しみ、また山へ帰っていく。日本の伝統的な暮らしには、それがごく自然にあって、人々は魂や霊を実感することができたのだろう。
 しかし、いまの僕らの生活では、その文脈を失っている。そのため、魂や霊をどう感じていいのか分からない。
 いま、若い人が書いているライトノベルなどにも、霊や魂、生まれ替わりを題材にしたものがよくある。数年前にヒットした『君の名は。』というアニメ映画もこの題材を扱っていた。いまでも魂や霊は、文学や映画のテーマとしてよく用いられているのだ。
 つまり、興味や関心はあるものの、日常の言葉としてはなかなか使いにくい。だから、フィクションの中で、いろいろな表現が生まれているのだろう。

懐かしさに通じる道

 山の辺の道に話を戻す。僕らが取材でよく歩くのは、石上神宮から桜井方面へ行き、長岳寺、大神神社を通って海柘榴市まで。逆に海柘榴市から歩くなど、大体十二、三キロのコースが多い。
 神社や寺がたくさんあり、柿本人麻呂の歌碑も多く残っている。道はアップダウンがあり、畑の中を歩いていたかと思うと、林の中に入っていく。そうした自然と人の暮らしの兼ね合いが実に心地良く、気持ちのいい道だと感じる。
 その辺りには、たくさんの古墳も残されていて、こんもりとしたただの茂みかと思うと、「あれは実は由緒ある古墳ですよ」と教えられたりする。
 道というのは、常に人が通って踏み固めたり、整備したりして保たれる。山の辺の道が千年くらいあり続けているのは、その間、一度も途絶えることなく人の往来があったという証だ。
 その道が現在まで保たれていて、僕たちが同じ道を歩く。そのことが何か懐かしい感じを与え、死者や霊魂との交信・交流にすっと入っていける大きな要素になっているのだろう。
 古代の人たちは、魂や霊を身近に感じながら生活していたに違いない。それは僕らの中にいまも息づいていて、それが活性化されるというか、蘇る、目を覚ますということではないだろうか。

「ふるさと」の意味

 石上神宮の辺りには「ふる」という地名が少なくない。「布」に「留(とどまる)」という字を書き、布留町や布留川、歌には布留野もあった。
 おそらく、この言葉は、「魂振り」の「フリ」に通じていると、国文学者の折口信夫が注目している。
 彼の説では、「フリ」は元々死者の霊を呼び寄せ、自分に固着させる意味があったという。ヤマト王権のころは、亡くなった天皇の霊を魂振りの儀式によって呼び寄せ、次の天皇に固着させる。そうした正統な皇位の継承に、この儀式が重要視されたようだ。
 おそらく、魂振りの儀式で霊を呼び寄せるとき、手を挙げて動かし、魂が浮遊する様子を表した。その動作が「振る」という動詞になったのではないか。
 こうして、何か特別な霊感を感じさせる場所、魂や先祖の霊が集まってくる神聖な場所と、古代の人々は認識し、儀式がたくさん行われ、それが地名として残ったのだろう。
 僕の勝手な解釈だが、元々は魂振りの儀式が行われるところを「ふるさと」と呼んだと思う。
 自分の出身地や、懐かしいところという意味の「ふるさと」が出てきたのは、たぶん産業革命の後ではないか。産業革命で工業が興り、労働者が必要とされ、農村労働者が都市に吸収される。そこで初めて、いま使われているような意味での「ふるさと」という言葉が生まれたのだろう。
 こうして語源をたどると、魂振りが行われ、ご先祖の魂が集まっていた場所、または憩い、安らいでいる場所を「ふるさと」と呼んだのではないか。
 さらに推論を交えると、山の辺の道周辺は、そのスポットであった。各地にもあったが、山の辺の道の場合、奇跡的に現在まで保存されているのだろう。
 そういう形で古い日本や日本が始まったころの面影、人々の暮らしぶりをそのまま残しているのは、ここだけではないだろうか。

「死」を超えた何か

『世界の中心で、愛をさけぶ』という小説も、人間の「死」が大きなテーマになっている。大切な人の死をどう受け入れ、どう乗り越えるのかということだ。
 高校生カップルの話で、病気で亡くなるアキちゃんを、朔太郎君が見送る別れの場面がある。そこで「また私を見つけてね」と言われた朔太郎は、「またすぐに見つけるさ」と答える。魂という言葉こそ使われていないが、「死」を超えた何かが二人の間に共有されている。
 現代には、心肺停止、脳死も含めてグローバルで医学的な死の定義がある。僕たちが生きているのは脳の働きによるもので、脳が死ねば世界も消え、自己も自我も消えるというのが医学的な理解だ。
 でも、どうも僕たちの実感は、それについていけない。感情、心、精神の問題、いろいろ含みながら人生がある。医学的に定義された死だけでは、何か釈然とせず、うまく生きられないところがある。
 だから、魂や死を超えたつながり、結びつきのようなものをどこかで感じたいのだろう。現代に生きていても、やはり僕らの中には山の辺の道を歩いた千年前の人たちと同じような心情が、いまも息づいているのだ。
 それを僕は文学の言葉でうまく取り出したいと考えている。そこには、人間が生きていく中で非常に大事なものがあると思う。


『世界の中心で、愛をさけぶ』の著者・片山恭一氏によるトークショー「山の辺の道を歩いて」をYouTubeにて配信中。

インタビュームック『すきっと』連載「悠々まほろば散歩~山の辺の道編」完結記念。これまで誰も気づかなかった“山の辺の道”の魅力を、作家の視点から余すところなく語ります。

天理時報2019年6月9日号掲載