第9回:急がず、焦らず信じること
早樫 一男

引きこもり
対人関係をうまく結べないまま自宅に引きこもる子どもたち。その受け止め方、抜け出す手がかりは?
桜の季節が近づくと、小学二年のころから不登校になり、その後、長期間引きこもりの状態になったA君家族のことを思い出します。
不登校となったころのA君はまだ、兄弟と遊んだり居間でテレビを見たりしていました。しかし、小学校卒業が近づくころから完全に自室に引きこもり、食事も家族の外出中や寝静まってからの台所で、一人食べるという生活でした。
A君のことを通して、最初に変わる努力をしたのは父親でした。ずいぶん協力的になりました。子育てと家事に追われる母親の負担を少しでも軽くしたいと、父親は職場の上司に思いきって家庭の状況を相談しました。しかし、そうした親の努力にもかかわらず、表面的にはほとんど変化が見られませんでした。ただ、A君は自室で黙々と大好きなプラモデルを作っていたようで、材料や関連の雑誌が欲しくなると自室の外にメモを置き、時折、郵送するようにと小さな包もありました。
母親からの手紙が届いたのは、A君が引きこもってから十年ほど経過した早春のころです。突然「仕事をする」と宣言しアルバイトを始めたこと、最初の給料日にはわずかな金額だけれども父親に礼をして渡したこと、母親の誕生日に花束をプレゼントしたことなど、十八歳以降の彼の様子がこと細かく書かれていました。
A君はプラモデルのオリジナル作品をコンテストに応募し、何度か入賞したようです。そのトロフィーはきっと彼にとって勲章だったのでしょう、自室に大切に飾っていました。わずかに残った社会との接点を絶やさないようにしながら、彼は自分の力をしっかりと蓄えていたと思われます。まるで冬眠をしているように見える長い時間でしたが、彼にはそれが必要だったのかもしれません。
親の懐の温かさと本人の蓄えた力がうまく重なったとき、社会に出て行く気構えや自立に向かうエネルギーが生まれるようです。手紙には「これからも親としては大変だけれども、黙って見守っていこうと思います」と締めくくってありました。
いきいき通信2007年9月号掲載