母のスマホデビュー
諸井 理恵

親子という関係
実家の母が、とうとうスマートフォンを買うことを決め、携帯電話ショップに同行したときのことです。
店員さんに、「いい母娘関係ですね」と言われました。
店員さんの説明を、私が母に〝通訳〟している様子を見て、「娘さんの説明が上手だ」と言うのです。
最近、私のように、親に付き添ってお店に来るお客さんが増えているのだそうです。
「でも……」と、その店員さんは、あまりうれしくなさそうな顔で言葉を続けました。
「親子でケンカのようになってしまうことが多くて。怒って一人で帰ってしまった親御さんもいました」
「ああ、あるかも」と、頷きました。私も母に対して時々、説明に苦慮し、言葉を換えて何度も繰り返さなければならないことがあるからです。
携帯電話は通話とメールのみで、パソコンも触ったことがない。そんな世代の人にとって、スマートフォンは全く新しい未知の道具です。機能の一つひとつが何なのか、イメージできないのでしょう。
電話をかけようと画面を開いたものの、どうやって閉じるのか?写真を撮ったけれど、それはどこにあるのか?インターネットでいろいろな情報が見られるというけれど、テレビのようにチャンネルがあるのか?
「だから、さっき言ったじゃない」と、息子さんや娘さんは、のみ込みの悪い自分の親にイライラして、きつい言い方になってしまい、その結果、親御さんも子供にばかにされたと怒りだしてしまうのかもしれません。
「どうしてこんなことが分からないの?」
これは、親が子供の勉強を見るとき、つい言ってしまうひと言。子供にしてみれば、分からないから分からないのであって、分かるように説明してほしい、というのが本音でしょう。
親子だからこそ、お互いに世話もし、相手に喜んでもらいたいと思い合うのですが、親子とは遠慮のない間柄であるがゆえに、時に言葉で傷つけ合ってしまう〝厄介な関係〟でもあるのです。
教える側のあり方
スマートフォンを無事に手に入れた実家の母ですが、使いこなすにはもちろん四苦八苦し、イライラしながら格闘する日もありました。
ところが先日、「最近、足の指が痛む」と言う主人に、それは痛風ではないかと話をしていると、母が「ネットで調べた」と言って、痛風によくない食生活について説明してくれたことがありました。
また、二十歳を迎えた孫娘のために、着物の着付けとヘアメイクの動画を検索し、成人式にはプロ並みの支度をしてくれました。

さらには、人に道順を教えるのに、地図アプリを使ったり、電車の時刻表を検索したりと、いまではなんとか使いこなして、スマホ生活をエンジョイしているようです。
これは、私の教え方が良かったから?ではなさそうです。ひとえに母の、年齢を重ねても衰えない旺盛な好奇心と、人の役に立つことを喜びとしてきた生き方のおかげかもしれません。
人を教え導くとき、分かってもらえないのを相手のせいにするのではなく、こちらの真心が足りないからだと思うならば、言葉はもっと柔らかいものになるでしょう。
おやさま(天理教教祖・中山みき様)は、「分からん子供が分からんのやない。親の教が届かんのや」と仰せになりました。人間の親である神様の思いを人々に伝えるために、おやさまは分からない人にも根気よく、優しく教え、導いて育てられたといいます。
教える側は、教えられる側よりも知識があり、優位に立ってしまいがちです。だからこそ心を下に置いて、分からない相手を立てるのが、教える側のあり方ではないかと思います。そうすれば、双方が満足し合える間柄になりますよね、きっと。
いきいき通信2018年6月号掲載