三代真柱様との思い出-幸せへの四重奏vol.22-
元渕 舞

6月の初旬、兵庫教区の「おうた演奏会」に出演するため、ほぼ2年ぶりに帰国した。子供のころから音楽研究会で共に育てていただいた仲間たちと一緒に演奏するのは17年ぶりだった。
それぞれ違う場所で活動する音楽家たちだが、会うと、みんな子供のころのままで、十数年のギャップは感じなかった。育てていただいたご恩を胸に演奏させていただき、長年にわたり音楽研究会の会長を務められた中山善衞・三代真柱様が喜んでおられるお姿が見えるような気がした。
天理高校3年生の夏、私のアメリカ留学の話が持ち上がった。両親は猛反対した。ところが、このことをお聞きになった前真柱様は「伸びるものなら伸ばしてやったらどうか」と仰った。そのひと言で私の留学が決まった。両親は「真柱様が仰るなら、それはおぢばの思召だ。それなら絶対に心配はない」と思ったという。
大学院の最終年、ボロメーオ弦楽四重奏団への入団が決まったとき、前真柱様と、まさ奥様は、ことのほか喜んでくださった。特に、まさ奥様は、私の母にこう仰った。
「舞ちゃん、これから大学で教えるんやろ。それはすごいプレッシャーやと思うのよ。だから、舞ちゃんが、おぢばに帰ってきたら、しっかり抱きしめてやりや。それがプレッシャーに打ち勝つ力になるんよ」
私はお二方にボロメーオの音を聴いていただきたく、おぢばで演奏会を開く準備をした。ところが演奏会の直前、まさ奥様が出直された。ボロメーオの仲間は「マイにとって大事な人は、われわれにとっても大事だ」と言い、真柱宅の祖霊様の前で演奏させていただいた。そのときの前真柱様のお顔が、いまでも目に浮かぶ。
前真柱様がニューヨーク天理文化協会にお入り込みになった際、私はボロメーオの仲間と駆けつけ、演奏させていただいた。ボロメーオの日本公演の折には必ず足を運んでくださり、東京公演の後には、ボロメーオの仲間と一緒に、大相撲やお寿司屋さんに連れていってくださった。
一度、ニューヨーク・カーネギーホールでのボロメーオのリサイタルにお招きしようと試みたが、体調を崩され、夢は叶わぬままだった。
最後にお目にかかったときは車椅子に乗っておられた。「ちょっと待っていてや」と奥の部屋へ行き、戻られると「これは、皆が一生懸命作ってくれたものや」と、浴衣を着たぬいぐるみを娘たちに下さった。それはいまも大事に飾ってある。見るたびに、前真柱様がお見守りくださっていると感じる。
天理時報2019年6月30日号掲載