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「浜辺の歌」-幸せへの四重奏vol.23-

元渕 舞ボロメーオ弦楽四重奏団ヴィオラ奏者


米国のニューメキシコ州にタオスという街がある。ここで毎夏、室内楽のサマースクールの講師を務めている。
タオスに在住する日本人は、たった5人。私が家族を連れてここに来ると、日本人が増えると喜んでくださる。故郷を離れ、この地で暮らすことになった人たちと会うたびに、母国を思う気持ちは遠く長く離れるほど強くなることを実感する。
私も日本を離れて27年経ったが、故郷を思うと、懐かしさとともに、すぐには帰れないもどかしさで、いまだに胸がいっぱいになる。
1958年、アメリカで単独布教を始めた森下敬吾先生は、長年、天理教ニューヨークセンターの所長を務められた。直属が同じ名東大教会というご縁もあり、私の曾祖父や祖父の話、そして名東の歴史について、機会があるごとに話してくださった。
森下ヤヱ子奥様は60年、お子様二人を伴って、先生の布教の地であったロサンゼルスに降り立たれた。旦那様に会いに、行ったこともない異国へ旅立たれた奥様のお気持ちは、いかがだったろうか。
晩年、体調を崩され、ニューヨークからロサンゼルスに戻られたヤヱ子奥様を、私はロサンゼルスでコンサートがあるたびに、お見舞いに伺った。ヴィオラを持参し、ちょっとした曲を弾かせていただいた。奥様はいつもベッドの上で正座して聴いてくださった。そして、他の患者さんにも聞こえるようにと、病室のドアを開けられた。
あるとき、「何か聞きたい曲はありますか?」と尋ねると、ご自身の故郷を思うたびに思い出す歌があると言われた。
「四国の海を思い出すの。でもいまは、詩ははっきり覚えているのにメロディーが思い出せないの」と、筆で書かれた詩を見せてくださった。
「あした浜辺をさまよえば 昔のことぞ 忍ばるる」
それは『浜辺の歌』であると気がついた。私がメロディーを弾きだしたとき、奥様は衝撃を受けたような顔をされた。そして、詩をなぞるように歌われ、懐かしそうに涙を流された。以来、お見舞いのたびに『浜辺の歌』を弾いて、奥様は一緒に歌われた。
奥様が出直されたとき、ご家族が電話で奥様の遺言を伝えてくださった。奥様は、ご自分の葬儀の際には「雅楽の代わりに、舞ちゃんに『浜辺の歌』を弾いてほしい」と言われたという。私と主人は葬儀に駆けつけ、『浜辺の歌』を演奏させていただいた。演奏しながら、涙が止まらなかった。
あれから11年が経ったが、夏になると『浜辺の歌』のメロディーとともに、故郷を思うヤヱ子奥様のお顔を思い出す。

天理時報2019年7月28日号掲載