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作曲家の心を読む-幸せへの四重奏vol.26-

元渕 舞ボロメーオ弦楽四重奏団ヴィオラ奏者


私の所属するボロメーオ弦楽四重奏団は、2007年から譜面をパソコン表示に変えた。
普通、音楽家は各自のパート譜(一つの楽器の譜面)を見ながら演奏する。しかし、それでは曲の全体図が見えにくいため、常に全員がスコア(全部の楽器の総譜)を見て演奏することで、作曲家の思いをより深く解釈できるようにしようとしたのだ。
一方で、スコアのページ数は、パート譜と比べて何倍にもなる。そこでコンピューターを導入し、足ペダルでページを送ることで、パソコン表示のスコアでの演奏が可能になった。私たちがこれを始めた当時は衝撃的なニュースだったようで、『ニューヨーク・タイムズ』紙が3ページにわたって紹介したほどだ。
どの作曲家もスコアと向き合い、自分の頭に描いた音と譜面が同じになるまで直す。そして、演奏者の手によって初めて、作曲家が意図した音が作られる。作曲家は実際に演奏された音を聴いて、自分の思いがもっと強く伝わるように書き直す。この繰り返しが多いほど、曲の奥行きが深くなる。
何百年と愛された曲は、演奏を重ねるごとに、曲への理解が深まる。演奏者が知り尽くしたと思っていても、偉大といわれる作曲家は、常にその上をいく。そして作曲家の没後も、曲が成長していくのが分かる。
天才と呼ばれたモーツァルトは、譜面に直しがほとんどなかったことで知られる。頭の中で完成している音楽を、ただ紙に書き取るだけだったのだろう。
そんな彼も、『ハイドンカルテット』と呼ばれる6曲の弦楽四重奏曲だけは別だったようで、書き直しがあちこちに見られる。”四重奏曲の父”と称されるハイドンに出会ったモーツァルトは、ハイドンが書いた四重奏曲を一緒に演奏して衝撃を受け、2年がかりで6曲を書き上げて、ハイドンに捧げたとされる。
初演を聴いたハイドンは大絶賛し、互いの尊敬と友情はモーツァルトが数年後に亡くなるまで続いた。
私は以前、ハイドンの四重奏曲を譜読みしていたとき、美しい緩徐楽章の最後に、モーツァルトが書いた『ハイドンカルテット』の1小節がそのまま入っているのを見つけ、驚いたことがある。
作曲年を調べると、モーツァルトが亡くなった数年後だった。当時60代だったハイドンが若きモーツァルトの死を嘆き、自分に捧げてくれた曲の一部分を組み込んだのだろう。そこには別れと哀愁、そして感謝の心が読み取れる。68もの四重奏曲を作曲したハイドンは、その後、四重奏曲の作曲をやめた。
たった1小節でも、それが語る人間関係や作曲家の心を理解し、その心が伝わるように演奏することが大事だと思う。

天理時報2019年12月1日号掲載