新たなる挑戦-幸せへの四重奏vol.31-
元渕 舞

先週から、ボロメーオ弦楽四重奏団のリハーサルが始まった。タングルウッド音楽祭で披露する、レクチャーコンサートのビデオ収録を7月初旬に控えているからだ。各自が新型コロナウイルスの検査を受けて安全を確認のうえ、マスクを着用し、互いに2メートル以上の間隔をとってのリハーサル。4人が会うのは3カ月半ぶりなのに、まるでパズルがピタッとはまるように音が合った。いままで冬眠していた身体中の細胞が目覚めたような感覚に驚いた。
最初に弾いた曲は、晩年のベートーベンが病から奇跡的に助かった後に作曲した、『病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌』。四声が重なり、ハーモニーが空気中に生まれたとき、忘れかけていた音のつながり、人のつながりを身にしみて感じた。こうして4人また揃って音楽をつくれるようになったことへの感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
激動の3カ月半。その間、家から一歩も出ない日が続いた。私たちが住むボストンでは毎日、何百人もが亡くなり、みんな家族を守るのに必死だった。亡くなった方や遺された家族の気持ちを思うと、自分たちが健康でいられるのが申し訳ないくらいだった。
私は毎日オンラインで授業はしていても、私自身の音が耳から離れてしまっているのを感じていた。そして自分の音に絶望するのがイヤで、ここしばらくは楽器から遠ざかっていた。さらに、これでいいんだと諦めている自分がイヤで、自己嫌悪にもなっていた。
そんなとき、天理教ニューヨークセンターの婦人会がオンラインで勉強会をするという連絡を頂いた。当初は参加をためらっていたが、ある方が電話で「舞ちゃんの顔を見たいよ。おいで」と。その優しい声に押されて参加した。
この日のテーマは『稿本天理教教祖伝逸話篇』161「子供の楽しむのを」だった。「この神様は、可愛い子供の苦しむのを見てお喜びになるのやないねで」との一節を読み、ハッとした。私は自分で自分を苦しめていないかと思った。
16歳のとき、「憩の家」で腹部の手術を受けた。術後のおさづけに来てくださった事情部の先生が、「許す」という心が大事だと言われた。そのころは「人を許す」ことだと解釈していたが、今回あらためて教祖のお言葉を勉強するうちに、そこには「自分を許す」という意味も含まれているのではと思った。
これまでの私は、「これはダメ。こうじゃないとダメ」と自分に厳しく、自分を許す心など意識していなかった 。そう思うと、ガジガジになっていた肩の荷が、ふっと無くなったような気がした。
新たなる挑戦が始まった。毎日楽器を弾くようになると、おのずとわが家に音楽が戻ってきた。娘たちは主人の弾くピアノに合わせて歌を歌い、生き生きとしてきた。私もようやく、心から神様に感謝できるようになった。
天理時報2020年7月5日号掲載