次の世代へ-幸せへの四重奏vol.32-
元渕 舞

アメリカに来て、もう28年になる。留学当初、母方の祖母にアメリカ留学を報告した際、祖母は真剣な目で私の手をつかみ、「敵国に行くな」と言った。祖母から見るアメリカは、日本国民を殺し、日本をめちゃめちゃにした恐ろしい国だったのだろう。
現に、そのころのアメリカでは、私が日本人だと分かった途端に冷たくする人や、唾を吐きかけてくる人も珍しくなかった。現地の日本人学校では、真珠湾攻撃の日には休校となった。校舎や生徒に卵を投げつけられたからだという。
それが今では、私が日本人だというだけで握手を求められることが多い。「一番行きたい国なのよ」「とても綺麗で、みんな親切って聞いたわ」。どの街でも日本車が圧倒的に多く、電気製品にもわざわざ「日本製」と大きく書かれている。
この四半世紀で日本人への視線がこうも変わったのは、まず信用を得たからだろう。いい製品を誠実に作り、間違いがあれば頭を下げて謝罪し、倍にして返す。どん底からここまで信用されるようになるまでには、先人のよほどの努力があったに違いない。
ロードアイランド州では、8月の第2月曜日は「日本からの勝利の日」という州の祝日だ。先週、同州に住む日本人や日系人の方から、この祝日の呼び方を変えるよう州に求める署名運動に参加してほしいと言われた。引き受けた私は、「多くの犠牲者を出した戦争に勝者も敗者もありません。私の娘たちや孫たちが将来、誇りを持って日本人であると言える社会を望みます」というメッセージを付け加えた。
私がユダヤ系アメリカ人の主人と結婚した際、主人の祖母は「あなたは私の家族にとって贈り物なのよ」と喜んでくださった。主人の家族にとって、ユダヤ人以外の人との結婚は私たちが最初だった。ユダヤ系アメリカ人の彼らにとっても、第二次世界大戦はとても悲しい思い出だ。だから日本人の私をすんなりと受け入れてくださったのだろうか。
ボストンに、娘を連れてよく行く場所がある。市役所の横に立つホロコーストメモリアルだ。6本のガラス張りの塔には、第二次世界大戦中にユダヤ人収容所で虐殺された方々の囚人ナンバーと、生存者の証言が刻まれている。そこを歩きながら、「間違いを繰り返してはならない」と、娘たちに語る。
主人や主人の家族は、いまだにそこを訪れようとはしない。何十年経っても、過去のこととは思えない深い傷が、そこにあるのだろう。
アメリカに住む日本人として、今の状況を当たり前だと思ってはならない。日本への信用を高めてくれた先人の方々に感謝し、将来を背負う子供たちが、日本人であることに誇りを持てるような社会であることを願っている。
天理時報2020年8月23日号掲載