vol.30 自分から変わる
金山 元春

人は自分なりの「ものの見方」(考え方、価値観、信念など)を通してこの世界を見ており、それがその人の行いに反映されます。そして、ある人の行いは別のある人に影響を与え、それが連鎖していくと、そこに特有の状況が生まれます。つまり、人と人との間で生じることは、そこに関わる人々の影響の及ぼし合いの結果なのです。これを「相互作用」といいます。
たとえば、次のような事例を想像してください。中学1年生の男子生徒であるショウゴは「登校しぶり」が続いています。母親がなんとか自宅から連れ出し、校門で待つ担任教師のもとへ連れていけば、教師と一緒に教室へ入ることはできるのですが、翌日には学校へ行くのを嫌がります。
この事例の教師が、母親のことを「本当に過保護な母親だ。そうやって甘やかして育てるから、ショウゴはあんなわがままになったんだ」と見れば、母親との関わり方は、それを反映したものになります。まさか「あなたのせいでショウゴは登校をしぶるようなわがままな子になったんですよ!」などとはっきりした物言いはしないでしょうが、「お母さんがあれやこれやとするので、ショウゴくんも甘えが出てしまうのではないでしょうか。もう中学生ですし、世話やきも、ほどほどにされてはいかがでしょう」くらいは言うかもしれません。
教師としては、母親が自らの言い分に従うのを望んでいるのでしょうが、それはまず期待できません。
実際には、「私が悪いっていうんですか! ショウゴは学校へ行きたくないって言っているんですよ! 悪いのは学校でしょう!」などと反論されるのがオチです。そう言われれば、教師も「心外だなあ!」と言い返したくなります。母親に対する「ダメな保護者」という見方を一層強くし、職員室などで同僚に「近ごろの保護者は、自分の責任を棚に上げて学校批判をするんだから、全くどうしようもない!」と息巻くかもしれません。ここには悪循環(負の相互作用)が生じています。
私たちは問題に直面すると、悪い部分を突きとめて修理・治療することで、その問題を解消しようとします。これを心理学では「問題志向」といいます。問題志向は機械の故障を直したり、身体の病気を治したりするのには役に立つので、私たちはあらゆることを問題志向で捉える癖があります。しかし、人と人との間で生じる事情に関しては、ときに問題志向は〝悪者探し〟につながり、かえって状況を悪化させることがあります。
こうした状況に気づいたときには、関わる人々のことをどう見るのかという自らの見方を省みて、それに伴う自らの行いを変えていくことが大切です。「どう考えても相手が悪いのに、どうして私が変わらないといけないの?」と言いたいときもあるでしょうが、誰が悪いのかをはっきりさせて、その人に変化を求めるような関わり方は、逆効果になることがほとんどです。結局は、自分から変わることが、好ましい変化をつくるための近道なのです。
天理時報2020年9月6日号掲載