えんぴつ-幸せへの四重奏vol.13-
元渕 舞
先日、鉛筆削りが壊れた。
これは私の小学校入学祝いに伯母が下さったもので、40年近く大切に使ってきた。壊れたタイミングが、ちょうど次女の小学校入学用の鉛筆を削っていたときだったので、世代の交代を感じた。
演奏家は鉛筆をよく使う。楽譜に指使いや弓使いを書き込むのだ。
留学してしばらくた 経ったころ、レッスンで先生が言われたことをすべて書こうとしていたら突然、先生が私の鉛筆を目の前でボキッと折った。
「書いてばかりでは何も頭に入らない。言われたことは頭に書き込め 」それからはレッスンに鉛筆を持っていけなくなった。
しかしそのおかげで、先生が言われたことをいまでも覚えている。
学生時代の練習本を見ると、途中から全く何も書き込んでいないのに、記憶は鮮明によみがえる。
演奏家は楽譜を買い替えない。
一度買ったら同じものを一生使う。
だから書き込むための道具も、紙に跡が残らない鉛筆や、紙が傷まない消しゴムを選ぶ。
ありがたいことに、楽譜に一番書きやすく消しやすい鉛筆や消しゴムは、すべて日本製だ。
私は日本に帰るたびに、演奏家仲間から頼まれて買って帰るほどだ。
グァルネリ・カルテットのヴィオラ奏者であった巨匠マイケル・ツリー先生は、何十年も使い古したご自分の楽譜きちょうめんに、いつも几帳面に弓使いを書いておられた。
共演するたびに変わる弓使いを、毎回消しては書き足す。
黄みがかった楽譜には、指使いや弓使いが、誰が読んでも分かるくらい、きちっと書かれていた。
先生は「いい鉛筆には、いい消しゴムが付いていない」と、いつも鉛筆と消しゴムを使い分けておられ、リハーサル中の書き込みに時間がかかることを嘆いておられた。
そこで私は東京の銀座で、いい消しゴム付きの鉛筆を一箱買って、先生に贈った。
先生は名前入りの特注品に、とても喜んでくださった。
それから2年後、また共演させていただく機会があったが、リハーサルのとき、先生はまた鉛筆と消しゴムを使い分けておられた。
「やっぱり使い慣れたものが良かったのかなあ……」と思っていたら、コンサート後、先生に呼ばれた。
その手には、5 くらいになった、私が差し上げた鉛筆があり、「大事に使わせてもらったよ。最後のうれ一本だ。ありがとう」と、嬉しそうに言ってくださった。
この4月、マイケル先生は亡くなられた。
きれいに使われた楽譜は、彼の指使いや弓使いとともに大切に保管されるだろう。
いま思うと、自分が逝った後も、後世にそれを伝えようとされていたのではないか。先生のお心が分かる気がする。
天理時報2018年7月8日号掲載