大人の放課後
〝珍々〟踏切を訪ねて
伊藤博康

発見の楽しみが魅力
町に線路が敷かれれば、そこには必ず踏切ができる。同じように見える踏切だが、よく見ればそれぞれ違う〝顔〟を持っている。廃線跡から最新豪華列車まで、鉄道のあらゆる魅力を写真や執筆活動を通して発信する伊藤博康(いとうひろやす)さん。中でも今回はちょっと変わった 〝珍々〟踏切の世界を紹介していただきます。
日本には、踏切が約3万4千もあります。(平成26年度国土交通省・鉄道統計年報)
大勢の人がいれば、そこにさまざまな個性が見られるように、踏切にも個性があり、それが3万超ともなれば、実にユニークなものもあるわけです。人知れず存在する踏切や、テレビ番組で紹介されて名所になった踏切もあります。そんな踏切のユニークさは、かねてから気になっていました。しかし、本格的に探し歩くようになったのは、21世紀に入ってからのことでした。
踏切探訪前史
その話に入る前に、鉄道趣味サイト「鉄道フォーラム」の歴史を少しご紹介します。
1987年4月1日に、国鉄が分割民営化されました。その2週間後の15日、パソコン通信のニフティサーブがサービスを開始します。そのサービス開始時から、鉄道フォーラムはありました。当時はまだ、インターネットの存在すら知られていませんでした。
それから5年弱を経て、いよいよパソコン通信が本格化すると思われた1992年、私は脱サラをして鉄道フォーラムの運営を引き継ぎました。将来性を予感しての一念発起でした。
やがてインターネットの時代となり、ニフティは二2007年にフォーラムサービスを廃止。しかし、鉄道フォーラムは数あるニフティのフォーラムの中でもトップクラスの活動をしていたことから、そのまま廃止することが憚(はばか)られました。そこで同社と協議をして、それまでに培ったノウハウを生かしたプログラムを独自開発し、独自サーバーで有料会員制のサービスを継続することにしました。それが現在の鉄道フォーラムです。なんだかんだとやっているうちに、独立してから早10年が経ってしまいました。
踏切の本を作る
少し、話を戻します。21世紀になってすぐ、まだニフティ内で鉄道フォーラムの活動をしていたころ、ニフティ関係者から一通のメールが届きました。「知り合いの編集者たちがユニークな本を出そうと集まり、検討の結果、踏切の本を企画することになった。ところが、鉄道に詳しい人がいないので、オブザーバー的に関わることはできないか」というものでした。これが、私が 〝珍々〟踏切を訪ね歩くことになる最初のきっかけでした。
早速、都内で打ち合せを行い、企画の意図や進捗(しんちょく)状況を聞いたところ、たしかに面白い試みでした。しかし、掲載候補のリストには、いわゆる定番踏切が入っていなかったり、編集者の感覚で珍しいと言っているだけのものが入っていたりと、まだ混沌(こんとん)とした状態でした。
そこで、私がまず仕分けをすることになりました。そのうえで、鉄道フォーラムでも情報収集をし、自身で撮りためた写真やあらためて撮影した写真も含めて誕生したのが『日本の〝珍々〟踏切』でした。発刊は2005年2月2日です。かねてより、鉄道書は大当たりはないが大コケもしない無難な題材といわれています。実際、三千部を基本として、内容や価格によって部数を上下させるのが一般的になっています。ところが、『日本の〝珍々〟踏切』は初版六千部を印刷したにもかかわらず、1月30日付の日本経済新聞広告欄に「重版決定!」の文字が躍ることになります。出版後、マスコミからの問い合わせも多く、深夜放送の「ブラタモリ」に出演したり、日本経済新聞の最終面「文化」欄に取り上げていただいたりしました。
それらの影響もあってか、さらに重版が続いて発行部数は1万3千部に至りました。それもやがて売り切れたことから、続編を企画することになりました。
そして誕生した『最新調査日本の〝珍々〟踏切』は、私が撮りためた写真と文章が主体になりました。2010年11月25日発行で、出版社ではやはり強気の発行部数としましたが、これもいまでは売り切れてしまいました。
踏切の楽しみ
二冊目を発行してから、すでに七年が経ちました。「三冊目は?」との質問をよく頂きます。しかし、主だったユニークな踏切は最初の書でほぼ紹介し、同書で漏れた踏切も二冊目で紹介してしまっています。さらに、踏切は減少の一途をたどっているため、一冊にまとめるだけの踏切数が揃(そろ)わないのが現状です。
その理由は大きく2つあります。都市部の立体交差化と、地方線区の廃線です。一時期大問題となった中央線の長い踏切や、箱根(はこね)駅伝で知られた京浜急行空港線の蒲田(かまた)第一踏切は、高架化で無くなりました。サラブレッドの牧場内にある日高(ひだか)本線の踏切は、災害で日高本線そのものが長期運休となり、再び踏切が作動する日が来るか定かではありません。
しかし、このような状況下でも、すてきな踏切に出くわすことがあります。そんな踏切を、いくつかご紹介しましょう。

【写真1】ご覧の通り、一面の菜の花畑のなかに踏切へと続く道があります。この光景を見た瞬間、わが目を疑いました。本当にこんな光景があるのだ……と。菜の花畑は近年減りましたが、いまでも見かけることはあります。しかし、その多くは田んぼであるのに対して、ここは線路端の土手です。それも、菜の花ばかりで邪魔するものもない、極めて珍しい状況です。この辺りには、それ以前にも来たことがあったのですが、菜の花の時期でなければ気づかない光景でした。

【写真2】もう一枚、季節感のある写真を踏切を渡った先に、見事に色づいた大木があります。駅間を歩きながら、次の列車をどこ
で写そうかと探しているときに見つけました。電線等がやや気になりますが、それよりも紅葉木の存在感と、そこへと続く踏切道に見入ってしまい、つい立ち止まってシャッターを切ったのでした。

【写真3】これは、踏切ではなく、踏切標識をご覧ください。蒸気機関車の踏切標識そのものが珍しくなりましたが、それが垣根に埋もれているのです。月日が経つうちに、垣根の枝葉が伸びたのでしょう。よく見ると、標識部分だけ刈り取られています。垣根と標識の双方に気を遣った剪定(せんてい)がされていることが分かります。
このようなすてきな踏切は、きっと、いまも全国にたくさんあることでしょう。おそらく三万以上の踏切すべてには、一生かかっても行けません。また季節ものの踏切は、まさに「出会い」ですから、ただそこへ行けばいいというものでもありません。それでも私は、新たな出会いを求めて、すてきな踏切を探す日々を送っていきたいと思っています。
- 秋田内陸縦貫鉄道阿仁合駅~荒瀬駅 2016年11月12日
- 津軽鉄道津軽飯詰駅~毘沙門駅 2016年5 月6 日
- 名古屋鉄道蒲郡線吉良吉田駅~三河鳥羽 2016年11月5日
- 大いに話題となった『日本の〝珍々〟踏切』(上)と、その続編『最新調査日本の〝珍々〟踏切』(下)〈共に東邦出版〉
すきっとvol.30 特集 Be Ambitious 掲載
【いとう・ひろやす】1958年、愛知県犬山市生まれ・在住。10年間のサラリーマン生活を経て、勃興期だったパソコン通信のNIFTY-Serve 鉄道フォーラムで独立。インターネット時代となり、@nifty のフォーラム事業撤退を受けて、独自サーバーで「鉄道フォーラム」のサービスを継続し、現在に至る。ネット上で日本旅行「汽車旅ひろば」と中日新聞プラス「達人に訊け!」の連載コラムを担当し、鉄道月刊誌にも執筆・写真提供をしつつ、『ダイナープレヤデスの輝き』『日本の鉄道ナンバーワン&オンリーワン』(創元社)、『日本の〝珍々〟踏切』(東邦出版)、『鉄道名所の事典』(東京堂出版)など著書多数。(有)鉄道フォーラム代表。