親里の古代遺跡に新発見!?-天理大学文学部-

市教育委員会と共同で東乗鞍古墳を発掘調査
古代に築かれた古墳がいまも数多く眠る町、天理。天理大学文学部(浜田秀学部長)は先ごろ、天理市教育委員会と共同で「東乗鞍古墳(ひがしのりくらこふん)」(乙木町)の発掘調査を行った。6世紀前半に築造されたと見られ、横穴式石室が当時の形を留めるなど、学術的価値が高い同古墳。今回の発掘で〝新発見〟はあったのか。
親里周辺には、古墳時代(3世紀中ごろ~6世紀末)に築造された大小さまざまな古墳が多数分布している。特に、天理大のキャンパスがある杣之内町周辺には大小数十基が密集。「杣之内古墳群」と呼ばれ、布留遺跡とその周辺に暮らしていた上・中層階級の人物の墓と推定されている。一方で、いずれの古墳も、いまだ多くの謎に包まれている。
謎が残る古墳の一つ
文学部では、平成26年に同大と天理市との間で結ばれた包括連携協定のもと、昨年5月に同市教育委員会と「天理市内埋蔵文化財の調査・研究に関する覚書」を締結。市内で共同調査を進めることになった。
今回、発掘調査が行われた東乗鞍古墳は、親里ホッケー場の東側に所在する全長約72メートルの前方後円墳。後円部には、長さ10メートルほどの横穴式石室があり、内部に石棺も遺存している。石室の様子などから、6世紀前半、飛鳥時代へと続く古墳時代後期の築造と推定されている。同古墳の調査・研究は、明治20年代にはすでに始まっており、内部に石室・石棺が存在することが知られていた。昭和56年に「天理市山の辺運動場」(現・親里ホッケー場)が建設されるのに伴い、橿原考古学研究所が試掘調査を実施。結果、前方部に接する浅い濠があることが分かった。
さらにその後の研究で、石室内の石棺の一つに、熊本県阿蘇産の石材が使われていることなどが明らかになったが、墳丘については精度の低い図面しかなく、正確な形や詳しい構造は分かっていなかった.
埴輪の一部が初出土
2月12日から24日にかけて行われた第1次発掘調査には、同学部考古学・民俗学専攻の桑原久男教授、小田木治太郎教授、橋本英将准教授に加え、同専攻の学生ら17人が実習として参加。文化庁の担当者も視察に訪れた。今回は、前方部から墳丘にかけて発掘区を設け、築造当時の墳端の様子や、法面(傾斜面)の角度を本格的に調査した。
これまで同古墳からは、埴輪が出土したことがなく、異例とされてきたが、発掘中に埴輪の胴体の一部が初めて出土した。形の特徴などから製作年代は6世紀前半と見られ、古墳の推定築造時期をあらためて裏づける結果となった。
発掘後は、明らかになった墳丘の様子をドローンなどを使って撮影。今後、画像をデータ処理して3D化し、詳しい解析を進めていく予定。
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小田木教授(52歳)は、「東乗鞍古墳の学術的価値は非常に高い。その一方で、墳丘の形などは調査が進んでおらず、基礎データをしっかり取っておくことは、私たちの責務であると思う。少しずつだが、行政と共同で調査を進め、残された謎を明らかにしていきたい」と話した。
天理時報2018年3月11日号掲載
- 天理大文学部の学生らは、市教育委員会と合同で東乗鞍古墳の発掘調査を行った。
- 今回の調査では、法面の角度などを詳しく調べた。