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娘のなみだ-幸せへの四重奏vol.4-

元渕 舞ボロメーオ弦楽四重奏団ヴィオラ奏者


先日、ニューヨークのブルックリン橋のすぐ下に停めてある船の中でコンサートがあった。

ここでは年間200回以上、室内楽のコンサートが開かれる。ステージの後ろはガラス張りで、演奏を聴きながらマンハッタンの夜景が一望できるようになっている。

この船の持ち主で、コンサート創始者のオルガさんは、5年前に92歳で亡くなるまでいつも自分専用の揺りいすに座って、うれしそうにコンサートを聴いていた。]

オルガさんは、第2次世界大戦中のホロコースト(ナチスによるユダヤ人大虐殺)生存者で、以前、腕に残っている囚人の数字の入れ墨を見せてくださったことがある。何も語らず、黙って袖をたくし上げた彼女の顔を思い出す。痛々しい入れ墨は消せない過去を表していた。船でコンサートを始めたのは、自分の心の傷を音楽で少しでも癒やそうとしたのではないかと思った。
「音楽は世界をより良くするためにある」。そう言って私を支えてくれる主人のエレンはユダヤ系アメリカ人だ。父方も母方も全員ユダヤ人で、結婚当初「エレンの妻は日本人だ」と、家族みんなが喜んでくださった。

エレンの家族にも消せない過去があると知ったのは、結婚して10年が経ったころだ。
義母は静かに語った。エレンの祖父はナチスに追われ、弟と必死でポーランドの村を逃げ出したこと、数日後、村も家族も絶滅したこと、それからしばらくして、ワルシャワに残った弟に、アメリカに来るようにお金を送ったが、弟からは「ワルシャワに良い仕事があるからと誘われている」という手紙が届いたきり、音信不通になったこと。義母は、事実を伝えることが義務であるかのように私に語った。

長女のさくらが小学校4年生のとき、学校で『アンネの日記』を読み始めた。娘が通う公立小学校では、ユダヤ系は彼女だけだ。私は主人に言った。「ホロコーストについて学校で聞く前に、親が説明しなくては」

同じころ、娘は週1回通う日本語学校でも『火垂るの墓』(第2次世界大戦の戦火のなか、逃げ惑う幼い兄妹を描いた日本のアニメ映画)を見た。娘はショックを受け、「ママ、敵国って何?」と聞いてきた。娘にとって家族はユダヤ人と日本人、アメリカは母国だ。主人と私は、言葉を選びながら戦争の話をした。事実を伝えることが、こんなに難しいことかと思った。娘が流した一筋のなみだが忘れられない。

天理時報2017年8月13日号掲載