いのちは奇跡-幸せへの四重奏vol.5-
元渕 舞

雪が降るたびに思い出すことがある。次女・はるが2歳になる少し前、急に元気を失くし、何も喉を通らなくなった。何度も医者に連れていったが「ただの風邪だろう」と言われた。
症状は次第に悪化し、ぐったりした娘を救急病院へ連れていくと、重い肺炎だったと判明し、即入院。血液中の酸素が不足し、集中治療室へ運ばれた。何人もの医者が全力を尽くしてくれたが、危険な状態だという。
モニターの酸素の数値が下がるとアラームが鳴り響いた。無数の管につながれた娘を前に、親神様は私に、何を伝えようとされているのか考えた。
はるは何回か危ない目に遭ったが、いつも奇跡的に救われていた。大きな丸太が落ちてきて頭を直撃したときも、たまたま上にあげていたバギーの横棒に救われた。そのとき私は妊娠4カ月だった。
それから数週間して、急に胎児の心臓が止まって死産した。もしかしたら親神様は、胎児の命と引き換えに、はるを救ってくださったのではないかと思った。死産という悲しい節も、ご守護と思えた。
肺炎の入院から数日後に大きなコンサートを控えていたが、練習に行こうとするたびに、意識のほとんどないはるの酸素が低下してアラームが鳴り、病室を出ることができなかった。コンサートは延期になり、大学も,私の授業をすべて休講にしてくれた。
天理に住む母は、私の叫びにも似た電話の声に驚き、飛行機に飛び乗った。だが、その日、ボストンやニューヨークを大雪が襲い、搭乗予定のニューヨークからの乗り継ぎ便が欠航になった。車でニューヨークまで迎えに行くという私を、あまりに危険だと主人が止めた。幸いなことに、他社の最終便に1席だけ空きがあり、出発予定だと分かった。すぐ予約を入れたが、すでに日本を発った飛行機内の母とは連絡が取れない。
そのとき,天理教ニューヨークセンター前所長の奥井俊彦先生のお顔が頭に浮かんだ。祈るような思いで電話すると、多忙な先生が出てくださった。
「はるは,たすけていただける!」。そう確信した瞬間だった。先生ご夫妻は、すぐに空港に駆けつけて、母をボストン行きの最終便に乗せてくださった。結局、この日ニューヨークから飛び立てたのは、母の飛行機1便だけだった。
大雪のなか、ボストン空港で母を迎え、閉門直前の病院に駆け込むと、母の顔を見てホッとしたのか、私は倒れ、2日間寝込んでしまった。
その後、母のおさづけを機に、はるは快方へと向かい、2歳の誕生日の前日、退院できた。
はるは今年1月で5歳になった。娘の顔を見るたびに、いのちは奇跡だと思う。
天理時報2017年10月1日号掲載