ある誓い-幸せへの四重奏vol.7-
元渕 舞

この秋の1カ月間、ある学生さんがわが家でホームステイした。おぢばで学んだ彼女はとても優秀なバイオリン奏者で、数々の国際コンクールの受賞歴を持つ。私の大恩師である天理教音楽研究会の岩谷悠子先生のお弟子さんだったので、彼女が小学生のころから成長を見てきた。
彼女は来年1月から、私が教壇に立つニューイングランド音楽院に入学することが決まり、その準備のための滞在だった。彼女を預かりながら、自分の留学中のことを思い出した。
私は天理高校3年生の秋、急にアメリカへ音楽留学することになったが、まだ高校生だったのでホームステイをしなければならなかった。
初めて会うホストファミリーのウォーカーさん一家には14歳、12歳、5歳の3人の娘がいた。そこで言葉の分からない私が1年間一緒に生活することになったのだから、一家にしてみれば当初、とてつもないお荷物を抱え込んだ感じではなかっただろうか。
それでも、私を家族の一員として大事に育ててくれた。
毎晩、高校の宿題と大学入学試験の勉強に追われていた私に、ママはつきっきりで教えてくれ、パパは真夜中過ぎても勉強している私の肩に、そっと毛布をかけてくれた。
夫妻は学校の大事な行事には必ず来てくれた。
高校を卒業した後も、同じ町の大学に入った私を、ずっと近くで見守ってくれた。
私がプロの音楽家になり、初めてカーネギーホールのコンサートに出演したときも、家族そろって来てくれた。私の結婚後、主人のことを〝自分の最高の息子〟と呼び、出産のときも「孫が生まれた」と喜んでくれた。
そのパパが、リンパがんで倒れたのが去年の夏。私は家族と共に会いに行った。
パパは驚くほど痩せていたが、私の通った大学や寮を一緒に歩き、思い出話に花を咲かせて笑い合った。
私は主人と娘たちに、いまの私があるのはウォーカーさん一家のおかげであることを話し、心からの感謝を告げた。パパは泣きながら私の手を握って「そう言ってもらえると、うれしいよ」と言った。
その夜、パパは家族を集めて、私と主人に言った。
「僕のグランドピアノを受け取ってくれないか? 僕の心の中の音楽が、家族代々伝わるように」。主人と私は驚きと感謝に泣き崩れた。パパに会うのは、それが最後となった。
いま私は、パパとママが私を預かってくれたときと同じ年齢になった。私はパパに誓った。
今後は、ママと娘たちを見守っていくこと、わが家にパパのピアノが代々鳴り響くこと、これから関わる学生たちを親身にお世話すること、それがパパとママへの、私なりのご恩返しだと思っている。
天理時報2017年12月17日号掲載
- アメリカの〝パパ〟と、大学のキャンパスで最後に撮った1枚