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Second Episode「元をたずねて、明日を拓く」

三濱靖和本部青年(当時)


 前回は、自分のたすけられた話として、わが家の入信の経緯を述べた。しかし、高校生にもなると、家は天理教だが自分自身の信仰は別だ、と思うこともあるかもしれない。私自身もおさづけの理を拝戴したのは高校生の時である。しかしそれは、いわば通過儀礼のようなものだった。私が、おつとめやおさづけの理の尊さを実感するのは、ずっと後になってからのことである。

神の姿

 今から10年近く前、私は一人の高校生と対峙していた。「俺、神様なんか信じてへん。見えないもんを信じろなんて無理や」。学修の修了式直前のことである。その子は、高校3年生で学修は3回目の参加。そして家は教会だった。私は、その子が納得する答えを出せなかった。それは、私自身が教祖のおっしゃるような体験をしたことがなかったからだった、と思う。
 教祖は、神様の有無について尋ねられた時、「在るといへばある、ないといへばない。ねがふこゝろの誠から、見えるりやくが神の姿やで」(『正文遺韻』)と答えられたという。
 私が、おつとめやおさづけの理によって、人知を超えた鮮やかな神様のお働きを目の当たりにしたのは、今からわずか2年あまり前のことである。

明日の地図ひろげて 三濱1

親の心

 平成22年2月13日深夜。天理よろづ相談所病院「憩の家」で三女は誕生した。大量の血にまみれた、真っ白な赤ちゃんだった。出産後、1回だけ「オギャッ」と泣いた。間違いなく1回泣いた。しかしその時、口から血が滝のように流れ出た。それっきりだった。その子は泣くことも、動くこともなくなった。
 この世に生まれ出たばかりのわが子が目の前で息を引き取る。親として耐え難いことである。とりわけ、母親である妻の気持ちはいかほどつらいものだっただろうか。
少し話がそれるが、数日後に妻が語った言葉を記しておく。「一度も抱いてやることもなく、あの子を死なせてしまうのはかわいそうだ」。自分がつらい、悲しいのではない。どこまでも子どもがかわいそうなのだ。母が子を思う親心は、それほどまでに深いものである。

おさづけの尊さ

 話を戻す。分娩室には静寂が残った。助産師の「お医者さんを呼んで!」という声だけが響き渡っていた。刻々と時が過ぎていく。息を吹き返しても脳がやられる、という思いが漠然とよぎった。
 医師が到着し、懸命の蘇生が始まる。ようやく息を吹き返したが、それは人工呼吸器によって呼吸をさせている、という状態だった。
 そして医師は出て行った。奈良県立医大の新生児集中治療室(NICU)への搬送を打診するためだった。
「お父さん、こっちへ来てください」と助産師が私を呼ぶ。そこには手のひらに収まってしまうほど小さな赤ちゃんがいた。人工呼吸器のチューブで口がふさがれていた。痛々しい姿だった。「おさづけをしてあげてください」。助産師に促されて、おさづけを取り次がせていただいた。おさづけの終わりにパンパンと柏手を打つ。すると、その赤ちゃんがゆっくりと目を開け、私の方を見つめた。そして、手足をバタバタと動かし始めた。「あっ、おさづけ効きましたね。口がふさがれているから聞こえないけれど、今、赤ちゃん泣いていますよ」と助産師が言った。
 後で聞かされた話だが、最初に医師が搬送の打診をした時、NICUは受け入れをためらっていた。状態があまりにも悪く、受け入れたところで結果は同じだと思われたからだった。しかし、「手足が動き出した」ということを聞いて、再度問い合わせたところ、「手足が動いているのであれば受け入れましょう」ということになったのである。
明日の地図ひろげて 三濱2

NICUでの宣告

 NICUに搬送され、精密検査が始まった。検査が終わるころには夜が明けていた。医師が出てきて状況を説明された。そして、長い説明の後、告げられた。「結論としては、この状態から良くなったという例は、少なくとも日本ではありません。仮に命がつながったとしても、必ず脳に障害が残ります」ー。
(つづく)

Happist

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