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近代思想史から見る「明治150年」

島田 勝巳天理大学宗教学科教授


今年は明治維新から150年の節目に当たる。現在放映中のNHK大河ドラマ「西郷どん」では、新しい日本の誕生を夢見る西郷隆盛の獅子奮迅の活躍ぶりが生き生きと描かれている。

だが、「明治維新三傑」の一人とされる西郷隆盛が、あの靖国神社には「英霊」として祀られていないことは、意外に知られていない。
そもそも靖国神社は、幕末の動乱期に命を落とした勤王の志士らを追悼するために、1862(文久2)年に行われた招魂祭をその起源とする。

それが1868(慶応4)年になると、新政権樹立のために戦った「官軍」と、これに対抗した「賊軍」とに区別され、官軍戦没者は天皇への忠義を貫いた者として祀られる一方で、賊軍戦没者は「朝敵」として除外された。こうして創設された「招魂社」は、西南戦争を機に「靖國神社」と改称されるが、この内戦で「賊軍」の長として絶命した西郷が、靖国の「英霊」になることはなかった。

中国思想史研究の小島毅は、この「官軍」と「賊軍」の区別こそが靖国の原点であり、その思想的根拠は儒教にあると喝破する(『靖国史観』)。そもそも、こうした「敵‐味方」の図式は、日本古来の神祇信仰に由来するものではない。日本の伝統的な死生観には、死者を勝者と敗者に分けるという思想自体に馴染みがない。

つまり靖国神社は、その創設当初の内戦(戊辰・西南)の時代から、すでに神社として極めて特殊な性格を帯びていたのだ。小島はこうした特殊性を、神道よりもむしろ、君主への忠義を尊ぶ儒教的精神に由来するものと見ている。

従来の明治史研究では、西洋近代の思想に影響を受けた明治期前半のリーダーらは、江戸時代の儒教的・封建的精神に対抗したものの、次第に反動派が巻き返し、「教育勅語」に収斂する「国体論」を形成したとする見方が強かった。だが近年では、明治の近代化は、江戸の儒教精神の脱却を図ったどころか、実は当初から極めて儒教的な一面を持ち、むしろそれがさらに強化されていく過程であったとする見方が強くなっている。

翻って、今日の日本の精神状況にも、いまだにこうした儒教的精神は息づいているのだろうか。平成最後の年に、あらためて明治維新以降の「この国のかたち」を振り返ってみるのもいいかもしれない。

天理時報2018年9月9日号掲載




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