SecondEpisode 与えを喜んで
名古屋大教会長夫人 森井葉子先生
私のきょうだいは、みんな体格が良くて頑強そうに見えるのですが、見た目とは違い、あまりお酒が強くありません。
特に女きょうだいは、全員アルコールが駄目で、中には奈良漬で酔ってしまう姉もいます。
私が初めてお酒を飲んだ日のことを、今でも鮮明に覚えています。
お店で、とてもわくわくしながら、グラスワインを1杯飲みました。
少し酸味があって、「へえー。こんな味か、やはり大人の味なんだ」と思いながらみんなと楽しく話をして、その2時間後には帰宅していました。
しかし、家に着いたころから、私の身体に異変が起き、全身が我慢できないほどのかゆみに襲われたのです。
どうしたのだろうと自分の身体をよく見ると、赤い斑点が身体中にできていました。
アルコール摂取によるアレルギー反応で、じんましんが発症したのです。
それからは、かゆくてかゆくて夜も眠れず、昼間は、日常生活はなんとかできるものの、かゆくて身体がひとりでに踊りだすという状態が、1週間も続きました。
姉たち同様、私も明らかにお酒は体質に合わないことが分かったのですが、ある時に懲りもせず、その場の雰囲気で少しくらいだったら大丈夫だろうと思い、ビールを飲んでしまいました。
すると、やはりじんましんが出て、全身にかゆみが走りました。
自分の浅はかさからなってしまったことですが、夜に布団に入って、じっとしていられないほどのかゆみと闘いながら、「こんなにかゆい思いをするのであれば、頭が痛い方がまだましだ!」と、声に出して不足を言っていました。
それでも少しは睡眠をとることができ、翌朝、目が覚めると、1週間は続くはずの強烈なかゆみも発疹も、嘘のようにきれいに治まっていたのです。
ところがその代わりに、身体を起こすこともできないくらい強烈な頭痛に襲われました。
そして、目も開けられないほどの痛みに耐えながら頭に浮かんだのは、ついつい口から出た、昨晩の私の身勝手な一言でした。
「親神様は、ちゃんと聞いておられたのだなあ」と思った瞬間、「言う通りにしてやったで」と、どこからか聞こえて来たような感じがしました。
とても不思議な体験でした。
考えてみたら、じんましんであれば、かゆくても起きていられますし、身体を動かすこともできますが、身体が起こせないくらいの頭痛では、一日中何もできず、ただ寝ているほかありません。
おふでさきに、
にちくにをやのしやんとゆうものわ たすけるもよふばかりをもてる (十四 35)
と、あります。
親神様は、私にとって一番良い形で身上にしるしをつけて、いろんなことをお教えくださっているのに、また、大難を小難に変えてくださっているのに、そのご守護や親心が分からず、「頭が痛い方がまし」と、不足の言葉を出していたのです。
「ありがとうございます」のお礼から
このことを通して私は、どんなことがあっても、「もっとこうだったらいいのに」と不足の心や、人間思案をするのではなく、まずは今、与えていただいている状況を親神様に「ありがとうございます」とお礼を申し上げることが、いかに大切かをお教えいただきました。
それからは、ご守護のお願いをさせていただく前に、必ずお礼を申し上げるよう心掛けています。
すると、初めは大変だと感じていたことも、気が付けばありがたいことに変わっていたり、「あのことがあったから、ありがたい」と、本当に喜べる心のご守護を頂戴できるようになってきました。
以前から、主人の母がよく、「何でもまずは、『ありがとうございます』と親神様にお礼申し上げるねんで」「初めは、何がありがたいのか分からんかってもいいから、まずは『ありがとうございます』と、お礼申し上げるんや。
それから、何がありがたいのかを探したらええねん」「『ありがとうございます』には悪いことは寄ってこない。
ありがたいことが寄って来る」と自身が通って来られた道を振り返りながら、確信に満ちた笑顔で聞かせてくださっています。
自分にとって良いことも悪いことも、まずは親神様にお礼を申し上げることから始める。これが私の信仰のモットーです。
第一回はこちら