Final Episode 伝わる信仰
天理養徳院院長 中島道治先生
間もなく見えなくなります
憧れのおぢばに住み、おぢばの学校に勤めさせていただいて、私は最高の幸せ者です。
私の良いところは、物事はどんなことでも一生懸命やることです。手抜きはなかなかできません。その反面、一生懸命やらない人を見るとすごく腹が立ってしまいます。そんな性格のため、人にすぐに文句を言うので、いろんな人に迷惑を掛けてきました。
29歳の春、目に痛みを覚え病院で診てもらうと、「間もなく見えなくなります。見えなくなってから手術しましょう」と言われました。
目は見えて当たり前、見えなくなるなんて思いもよりません。
神殿・教祖殿で、ぬかづいては「中島道治、こんなに一生懸命頑張っているではありませんか。お治しください」と毎日心の中で叫んでいました。
しかし、日ごとに痛みは増し、このまま見えなくなるのかと思うと目をつむるのが不安でなかなか眠れません。痛みと熱は一層ひどくなり、いよいよ明日が「間もなく見えなくなる日」だな、と観念して寝床につきました。
見ているのではなく、見せられている
翌朝。台所から朝食の支度をする音が聞こえ、朝だと感じました。目はすぐに開けられません。見えるかな、見えるかな、とそっとまぶたを開けると天井の染みが飛び込んできました。
うれしさに涙がわき出て、「見ているのやない、見せていただいていたんや」と心底思えました。
神殿・教祖殿で「治せ治せ」と申し上げていたことが恥ずかしく、こんな自分勝手な人間に、29年間も目が見えるというご守護をくださっていたのかと気付きました。
そしてお礼を申し上げるため、家にあるお金を集めて神殿へお供えに行かせていただきました。
目に映ったことで人ばかり責めてきました。
しかし、その姿はその人の目ではなく、私の目に映っているのです。
親神様はこの人を通して私に教えてくださっていたんや。人に文句を言うのやなく、わざわざご丁寧にお教えくださいましてありがとうございます、と感謝せなあかんと思え、周りを見る目が180度変わりました。
翌日、病院に行くとお医者さんから、「あなたの目は何ともありません。20年間保証します」と言われました。
飛び上がる思いで家に帰り、妻と喜び、この喜びをどう伝えようか、どうしたらいいかと相談しました。
初めてのおたすけ
翌日からは会う人ごとに喜びを語りました。
そんな中、大学時代の友人が「お前、布教師みたいやな」と言うので、「今そんな気持ちやね」と語ると、家の近所に胃の手術をして入院している人がいるからと、61歳の婦人を紹介してくれました。
それから毎日勤務の後、病院でおさづけを取り次がせていただきました。婦人は、ひと月ほどで退院され自宅療養となりました。元気になって退院されたと思っていたのですが、食欲がないとのこと。そこで、私は婦人にご守護いただけるまで断食をさせていただきました。
ご守護いただけないのは、取り次ぐ者に徳がない。昔の先生は徳を頂くために、リュックサックにレンガを入れて自分に負荷を掛けておたすけに出られたと聞きます。
そこで私は、人が自転車で行くところは歩いて行こう。自動車で行くところは自転車で行こうと心を定め、毎日徒歩で婦人宅へ行かせていただきました。
案じ、迷い、疑いは持たず
目の中や顔に黄疸が出始め、おさづけ中に呼吸が止まったかと思うと、吹き返す。そんなことが続きました。ひと月、ふた月、み月と通うのですが、鮮やかなご守護は見せていただけず、黄疸が土色に変わっていきました。
私の心は暗くなり、足は重くなるばかり。参拝に行くたびに、おさづけは効いているのか?と親神様、教祖のお働きに案じ、迷い、疑いを持ちながら「たすかるならたすかる。たすからないならたすからないとはっきりしてください」と心の中で何度も訴えました。
ある日、参拝を終え、帰り際にトイレに寄りました。
私は小学校1年生のころ、柿の木に登った時、幹から滑り落ち、落ちた根元の枝でお尻をブスリと挿し、けがをしました。
それ以来、切れ痔で毎日パンツを汚す出血があったのですが、この時出血が無いことに気付いたのです。
教祖は取り次いだ者に不思議を見せてくださるんだと思い、それならば取り次がれた人は絶対良くなる、と確信しました。
この時から、案じ、迷い、疑いは一切持ちませんとお誓いし、私の人生が再スタートしたのです。
(おわり)