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First Episode 伝わる信仰

天理養徳院院長 中島道治先生


私は1948年に富山県射水市で生まれました。田んぼに囲まれ、東に劔岳、別山、立山と3千メートル級の立山連峰を望む小学校で学びました。
私の小さいころは天理教は好きではありませんでした。どちらかと言うと嫌いでした。

校長先生は神主さん

というのも、学校ではほかの家は皆、浄土真宗で、天理教の家はわが家だけでした。
おまけに、校長先生は神主さん。教頭先生はお寺の住職さんでした。
そんな環境だったので、学校では何かあると、先生から「天理教の子、お前やろ」とか「おい、天理教の踊りを踊ってみろ」と言われたり、授業中に黒板に「淫祠邪教」と書かれ、「例えば天理教や」と言われた時など、クラスの全員が私の方を振り向く。
あの時は悔しくて顔を上げられず、涙がぽろぽろ落ちて机をぬらしました。

また、両親が毎日のように夫婦げんかをしていました。
母の涙する姿を見て、「天理教って夫婦げんかを教える宗教なのか?」と思ったりもしました。
ある日、友達の家で遊んでいる時にお昼になって帰ろうとすると、「食べて行けや」と言われ、居間の食卓に目がいきました。
食事はご飯、お汁、ハムエッグでした。

ハムエッグの恨み

正直、わが家ではハムエッグは出たことがありません。
きょうだいが多かったので卵は丼に入れて混ぜてご飯に掛けるのが当たり前でした。
また、どの家庭もそうだろうと思っていましたので、私は思わず「お前の家、いつもあんなの食べているのか」と聞くと「うん」と言うので、何でわが家はハムエッグを食べられないのかな?と疑問を持ちました。

友達のお父さんは父と同じ会社に行っている。農業も一緒やし、違うのは天理教と浄土真宗だけや。そうか、うちには毎月会長さんが来はる。あの会長さんが私のハムエッグを持って行く人だな、と答えを出し、会長さんが来られると必死でにらんだものでした。
そんな私が10歳の時に、右足のかかとの靴ずれからブドウ状球菌が入って骨髄炎になり、左脚を大腿部付け根から切断しなければ命が危ないと宣告されました。

ブドウ状球菌のすごさ

お医者さんが父に「ブドウ状球菌は1秒間に1個が100に増える。2秒間で1万、3秒間で億に増える繁殖力の強い菌なので、このまま骨髄に入ったら、あっと言う間に脳に到達して命が無くなります。一刻を争いますのですぐに大腿部付け根で切断する手術をします」と言いました。
その時父は「私がこの子の病気を見て喜ぶのでどうか脚は切断しないでください」と訴えました。
教会長として、子ども15歳までは親への仕込みと受け取り、「私が喜びますから、私が喜びますから」と必死に頼んだそうです。

でも、お医者さんは一笑に付して、「なるほどお父さん、人間は喜んだら体中の体液が酸性からアルカリ性に変わり白血球が増えますが、お父さんが喜んで、何で子どもの白血球が増えるのですか!一刻を争うのですよ!」と言われる。
父は、「親が喜んだら、子どもは絶対喜びます。脚は切断しないでください」と、押し問答が続き、お医者さんは、「そこまで言われるのなら、信念あっての事と思います。命の保証はできませんが、骨を削れるだけ削ってみましょう」と手術が始まりました。
今は自分の足で歩いており、親が喜んでくれたおかげだと思っています。

 何が天理教じゃー

でも、入院中は決してうれしくはありませんでした。
左脚はひざの上20センチぐらいのところで骨を削り、穴がふさがらないように2カ所に管を挿し入れてガーゼの詰め替え、消毒、うみを針の無い注射器で吸い出す。この作業が毎朝行われました。

その痛いこと、ベッドで泣き叫んでいました。
私が泣き叫ぶベッドの脇で、何と母親が両手を合わせ手をすりながら天を拝むようにして、「なむ天理王命様、ありがとうございます。なむ天理王命様、ありがとうございます」と必死に喜び感謝しているのです。
今思えば、切断しなければならないところをたすけていただいた。痛いと感じる足をお貸しくだされている。ありがたい気持ちでいっぱいだったのでしょう。

ただ、そんなことを理解できない私は、こんなに痛がっているのに何がありがたいんじゃ、あっちへ行ってくれと思ったのです。
しかし、毎日毎回「なむ天理王命様、ありがとうございます」と喜ぶ母の姿を見て、ああ親神様って本当におられるのかなと、子ども心に感じました。
(つづく)


Happist