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インタビュー
「いま」を越えて 小松節夫監督

小松節夫 天理大学ラグビー部監督

良き伝統があってこそチームは強くなる


――天理大学の選手たちは、他校と比べると体格が小さめだといわれます。チーム作りに当たって、ご苦労されたことなどをお聞かせください。

「山椒は小粒でも、ピリリと辛い」がいいんです。
小さいけれどもスパイスが効いている。体が小さいことは、天理ラグビーの一つの特徴みたいなものだと思っているんです。
天理のスポーツでは、大学だけでなく、中学や高校もそういうところがあるように思います。もちろん、選手の体格の大型化は図りたいですが、だからといってフォワードで圧倒するような対照的なスタイルになることはないでしょう。
小さくてもスパイスの効いたラグビーをするために、これまで先輩たちが苦心して工夫を重ねてこられたからこそ、いまのスタイルがあるのだと思います。ですから、私が苦労して作り上げたという感じはありません。

強さに必要なのは、技術や体格だけではありません。
精神面、生活面が大きく影響します。私は天理大学の出身ではありませんので、外から天理大学を見て気づいたことがあるんです。
大学時代、何度も天理と試合をしたことがあるのですが、ある時、天理の選手たちにはあまり良い伝統が継承されていないなと思ったことがありました。当時の天理大は、歴史はあるのに「これが天理の伝統だ」と感じさせる重みが少ないように思いました。それはそのまま、自分が監督になってからの課題となりました。

たとえば、ラグビーの世界では、自分のチームのジャージに対する思いは、チームや学校への誇り、プライドを表すものでもあります。
有名校であればあるほど、〝このジャージを着るために頑張っている〟という精神的な支えになる部分が少なからずあるものです。早稲田大学は赤と黒のジャージですが、「レギュラーになる」ことを「赤黒(アカクロ)を着る」と言ったりします。
学校によっては、レギュラーメンバーの発表のときに、監督がメンバー一人ひとりにジャージを渡すことを儀式のように重く受け止めるところもあります。ジャージを塩で清めるところもあります。私などは、ジャージを受け取ったときは枕元に置いて寝て、試合に臨んでいました。
試合後は洗濯してチームに返します。チームによっては、普段は人目に触れさせず、厳重に倉庫にしまっているところもあるほどです。
とにかく、ラグビーでは、ジャージがチームの誇りの象徴なのです。

私が監督に就任した当時の天理大は、選手層も薄く人数も少なかったので、試合にはいつもだいたい同じ選手が出ていました。
ですから、ジャージがその子たちの持ち物みたいになっていたんです。最終戦が終わっても、チームへ返却せずに、当たり前のように家に持って帰って自分のものにしていました。
それには、すごく驚きましたし、少なくとも良い伝統とは思えませんでした。

勝負の世界では、特に自分の学校やチームへの誇りを持つことはとても大事なことです。
それは、試合や練習の時間だけではなく、日常生活の中でも誇りを象徴するものを大切にすることで培われると思うんです。その象徴の一つがジャージなのです。

また、部歌を歌うというのもそうです。多くのチームでは試合前、ロッカールームで部歌を歌って気持ちを高めてグラウンドへ出ていきます。
天理大には、そのような習慣はありませんでした。もっぱら、打ち上げなどの酒席でしか歌われていませんでした。
しかも酔っぱらって変な節をつけたり、代表の誰かが振りを付けて踊ったり、部歌に対する扱いも、私からすると、すごく違和感があったんです。

そこでまずは、天理の伝統を見つめ直すことから始めようと思いました。「ジャージ渡し」も、全員の前でメンバーを発表して、ジャージを渡すところから始めました。

いつになったら勝てるんだろう

――チームへの愛着や誇りは、試合に勝ち続けることで育まれるものでもあると思いますが、なかなか勝てない時はどうやってモチベーションを維持するのでしょう。

私が就任した当時、実際、天理大は弱かったとは思います。
しかし、1年目はCリーグで優勝して、Bリーグに上がったんです。低いレベルの話かもしれませんが、ずっと同じリーグで低迷していたわけではありません。
二年目からはAリーグを目指し、入れ替え戦に6回挑戦しました。入れ替え戦に臨めるということは、Bリーグを一位か二位で通過し、Aリーグをかけて戦うということです。
そのように「リーグトップ」で挑戦できたことが、力を付けていくためにも良かったのだと思います。

つまり、それは目標がすぐ目の前にある状態なんです。むしろ、Aリーグに上がった最初の5年間のほうがきつかったかもしれません。
Aリーグに上がった1年目は、シーズン中の2カ月間、一度も勝てませんでした。
私自身のラグビー人生でも、そんなに長い期間、勝ち星がないというのは初めてでした。
そのときが精神的につらかったですね。どことやってもボロ負けですから。
「いつになったら勝てるんだろう」という焦りもありました。

――結果が見えないときは、自分の指導が悪いのではと、みずからを責めることもあると思いますが、そんなときはどうやって乗り越えてきたのでしょう。

勝てないことに対しては、やり方どうこうよりも「自分自身に問題があるんじゃないか」と悩んだときもありましたね。「私ではなく、勝ち運を持っている人がいれば勝てるんじゃないか」と。

天理教教会本部の神殿へ行って、神様に「なぜ、勝てないのでしょうか」と問いかけもしました。神様は「頑張れ」とか「来年はいけるよ」なんてことは、もちろんおっしゃいませんが、参拝して神殿を後にするときには、胸のもやもやは晴れてすきっとしていました。そして「よし、また頑張ろう」と思えたんです。そういうことは何度もありました。

勝ち負けは毎日の生活から

――生活面の見直しで取り掛かられたのが寮の開設だったそうですね。

そうです。なぜ寮が必要と思ったかというと、第一の理由は体作りです。
そのために選手を食事や生活面でサポートしなくてはという思いでした。平成13年に念願のAリーグに復帰しましたが、Aリーグはチームのパフォーマンスを最大限に発揮しないと通用しない世界です。入れ替え戦はいつも辛勝で、得点差は10点以内でした。しかし、Aリーグの初戦で、いきなり同志社大学に70点もの大差をつけられました。「これはダメだ。やはり体を作らないとどうしようもない」と思いました。
一般的には、大学時代の4年間というのは体が大きくなる時期なんです。ところがうちの場合、逆に体重を減らす子がたくさんいたのです。

そこで、関東の強豪チームは大半が寮生活ということを考えたときに、やはり寮生活が大事ではないかと思ったのです。
大学生ですから、アルバイトもするし、食生活も不規則になる。アパートに一人暮らしだと、どうしても生活が乱れてしまいます。
寮でご飯を食べさせて、生活のリズムをきちっと保つようにすれば、体作りの近道になると思ったんです。

ほかにも寮生活の利点はあります。
たとえば、学生同士や私たちと学生とのコミュニケーションが生まれたことです。技術や体格だけが強さにつながるのではなく、生活面や精神面もプレーに直結すると思うんです。試合と生活面は別々のものではないと思っています。自分は監督だからグラウンドだけ見ていればいい、寮は誰かに任せて、という考えもあるでしょうが、私はそうは思いません。たとえば、玄関が汚いとか、所構わずゴミを散らかすというのは、すべてチームの結果につながってくると思うんです。
私は最終的にこのチームの勝敗に責任を持っているわけですから、生活面も自分の責任と思って、彼らと生活を共にしてきました。

ラグビーの技術だけが向上してもいい選手にはなりません。「人としてどうか」ということが大事だと思います。

天理ラグビーという「誇り」

勝負の世界は必ず結果が出ます。どんな結果が出るかは、自分たちの力だけではどうにもできないと痛感しています。
ラグビーボールは楕円形です。ボールがどっちに転がるか分からない。左に転がったらトライになるけれど、右に転がったら相手に取られる。「勝利の女神」という言葉がありますね。結局、ボールがどこへ転がるかは、最終的に勝利の女神が微笑んでくれる人間か、そうでないかによるのではないかと思うんです。ということは、普段から神様にそっぽを向かれるような生き方をしていたら、最後に微笑んでもらえないのではないかと。私にとって、勝利の女神は教祖です。
ですから、教祖に嫌われるような生き方をしていたら結果もついてこないと思っています。

学生の中には、信仰をしてない者もいます。でも、公式試合の前にはメンバーで参拝に行きます。
いまは、学生たちがおつとめをすることも、一つの伝統のようになっています。ある時、練習が長引いて帰宅時間が遅くなったので、自宅生に配慮して「きょうは解散」と言って参拝に行かなかったことがあったんです。すると、「きょうの参拝はないんですか? 参拝に行きましょう」と言ってくれた子がいました。

一つの目的があって、それに向かっているときは、やっぱり素直になれるし強い。
常に目的意識を持たせるようにはしたいと思っています。やみくもに、「とにかく頑張れ」一辺倒では続きません。選手たちは自発的に勝ちたいと思うことで、初めてきつい練習にも耐えていけます。それには明確な目標がないと力も出ないように思います。その目標も、あまり遠くてはだめです。まずはCリーグ、次にBリーグ、Aリーグ。そしてリーグ優勝。
国立競技場、ベスト4、その次に優勝。目の前の目標に全力で向かって、一段一段上っていくことが大事ですね。目標があって、その先にあるのが夢なんじゃないかと思います。

天理大学ラグビー部は1925年(大正14年)、前身の天理外国語学校が開校した年に創部、これまでに6度、関西大学ラグビーフットボールリーグを制覇している。85年(昭和60年)関西Aリーグ3位を境にチームは年ごとに下降線をたどり、91年(平成3年)Bリーグへ、さらに翌92年にはCリーグへ転落した。しかし95年、小松監督が就任し、2001年、11シーズンぶりにAリーグに復帰。05年の創部80周年という節目で21年ぶりに大学選手権に出場。10年には念願であった関西Aリーグ制覇を35年ぶりに達成した。そして112年、全国大学ラグビーフットボール選手権大会で、創部以来初めて決勝戦まで駒を進めた。

――天理ラグビーを通して、選手たちに何を身に付けてもらいたいですか。

ラグビーは、いろんな要素がミックスされているスポーツだと思います。
体の小さい者、背の高い者、体重が100キロくらいある者……さまざまな体格の者が集まってそれぞれに適したポジションに就いて行う団体スポーツというのはなかなかないと思います。そして、たとえば、スクラムを組んでボールに触っていない者もいれば、華やかにトライをする者もいる。スクラムを組んでいる選手は「このスクラムで俺がボール出したからトライを取ったんや」って思っているんです。トライしたほうも「スクラムで頑張ってくれたから、自分がトライを取れた」と、スクラムを組んだ者に感謝している。
みんな、役割は違うけれど、一つの目標に向かっている。すごく良いスポーツだと思います。

そんなラグビーで流した汗や涙を、自分たちの人生に生かしていってほしいと思います。
ラグビーとはまったく関係のない仕事をするようになっても、ラグビーで培ったものをそれぞれの人生で役立ててくれればうれしいですね。そしてまた、天理でラグビーをやっていたという誇りを忘れないでほしいと思います。天理ラグビーの出身者たちにどんどん世の中で活躍してほしいですね。

良いラグビーをしよう、強いラグビーをしよう、強いチームになろうというのはもちろんなんですけれども、その前に「いいチームになろう」ということをすごく思うんです。
これからもそのことを念頭に、選手たちと歩んでいきたいと思います。

【こまつ・せつお】
1963年、奈良県生まれ。天理高校時代はセンターやスタンドオフとして活躍、高校日本代表にも選ばれた。卒業後、フランスへ留学し、パリのラシン・クラブのジュニア(20歳以下)チームで2シーズンプレー。帰国後、同志社大学へ進学し、その後、日新製鉄でセンターとして活躍した。1993年、関西大学Cリーグに転落した天理大学ラグビー部の再建を託されてコーチに就任、1995年度に監督に就任。その強化が実を結び、2011年度の全国大学ラグビー選手権では“天理旋風”を巻き起こし、見事、準優勝に輝いた。


すきっとvol.19 掲載

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