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大学選手権トピックス -ラグビー大学選手権決勝-

●島根主将の奮闘の陰に

今大会、獅子奮迅の活躍を見せ、大きな称賛を受けた島根一磨キャプテン(4年)。その生い立ちと天理ラグビーにかける父子の思いを、父・忠雄さん(59歳・天理教校学園高校副校長=写真右)に聞いた。

「一磨は、無い命をたすけていただいた子なんです」と忠雄さん。自身も天理大学ラグビー部OBで、天理教校附属高校(当時)ラグビー部の監督を13年間務めたラガーマンである。

平成8年11月30日、「憩の家」産婦人科の分娩室の外で、わが子の誕生を待つ忠雄さんの姿があった。その目の前を、数人の医者や看護師が慌ただしく分娩室に駆け込んでいく。「何があったのか?」と不安が胸をよぎる。

そこへ、看護師から「仮死状態での出産でしたが、奇跡的に蘇生しました。男の子です」と告げられた。「男の子なら『トライ』と名づけようと本気で思っていた」忠雄さんだが、この出産を「神様が、私たち夫婦の心に〝磨き〟をかけてくださった」と悟り、「一磨」と命名。さらに妻・みすずさん(53歳)と二人で「お道の御用に使ってもらえる子供として育てさせていただく」と心定めしたという。

出産後の後遺症も心配されたが、男児はすくすくと成長し、幼稚園から親里のやまのべラグビー教室で楕円球に親しんだ。天理高校への進学に際しては、「一れつ会の扶育生として、自分にできる恩返しは〝ラグビー日本一〟」という目標を立てるなど、天理育ちのラグビー選手として心も磨いていった。
「一磨が高校で主将になったとき、不意に大学時代の親友の顔が、一磨の顔と重なったんです」と忠雄さんは振り返る。

その親友の名は小賀野真一。忠雄さんの同級生で、天理高でも天理大でも主将を務めた。

昭和57年、大学を卒業した小賀野さんは、忠雄さんと共に、2年後に迎える奈良国体の強化選手に選ばれた。

その年の8月16日、島根県の稲佐の浜で行われた強化合宿に参加していた二人は、休憩中に「助けて!」という悲鳴を聞いた。海上には波にさらわれた4人の子供の姿が。二人は迷わず荒れ狂う海に飛び込んだ。

忠雄さんは、一人の子供を抱えて波間に浮かぶ小賀野さんの姿を確かに見た。次の瞬間、高波が襲った。「島根ー!」と叫ぶ小賀野さんの声を最後に、その姿は忠雄さんの視界から消えた。
 
忠雄さんは奇跡的に救出されたが、翌朝、病院のベッドで、無二の親友が〝帰らぬ人〟となったことを知らされた。
「いまも小賀野が、一磨の背中を押してくれていると信じています」と語る忠雄さん。その思いを受けた島根主将の今大会での奮闘と態度は、広くラグビーファンから讃えられている。

●OBもスタンドに集結


天理大ラグビー部のOBも、各地から応援に駆けつけた。

2年前、キャプテンを務めた山口知貴さん(24歳)は、同級生の竹内慎太郎さん(同)と共に、巨大メガホンを手に応援。当日の早朝、カラーコーンに黒色のテープを巻きつけ、白色のペンで「一手一つ」と書き入れた特大メガホンを手作りした。

山口さんは「苦しい場面で選手たちを鼓舞できるよう、特大メガホンで精いっぱい応援したい」と。

また、7年前にキャプテンとして決勝の舞台に立った立川理道さん(29歳・但八分教会みちのり布教所ようぼく=写真)の姿も。

試合後、立川さんは「準決勝で帝京を圧倒して、周りの期待も大きかったと思う。大きなプレッシャーがかかる中で懸命に戦った選手たちを、本当に尊敬している。下級生には、この経験を糧に、長所を一層磨いて、また全国の大舞台で活躍してほしい」と語った。

●SNSで心境告白

試合当日の夜、ツイッター上に選手たちが記した心境や感想が公開された。

島根キャプテンは「悔しい結果になりましたが、最後まで仲間とラグビーができて幸せでした」と発信。天理大の選手や観戦者から「お疲れさまでした」「感動をありがとう」など、多数のリプライ(返信)があった。なかには、明治大のファンと思われるユーザーから「貴方のリーダーシップと闘神の様なプレーに胸打たれました」とのコメントも寄せられた。

また、トンガ人のファウルア・マキシ選手は「悔しい結果になりましたが、これがラグビーです。最後までこの仲間たちと一緒にラグビーができてほんまに幸せです」と、日本語で語った。

このほか、トップリーグ選手やラグビーに縁のある芸能人による感想も、SNS上に多数アップされた。

●先輩と思い描いた夢


「高校1年生のとき、マキシさんと一緒に7年前の大学ラグビーの決勝戦をテレビで観戦した。そのときから、天理大学ラグビー部に入部し、帝京大学を倒して日本一になることが、二人の夢になった」

こう振り返るのは、シオサイア・フィフィタ選手(2年=写真左)。トンガ出身で、天理大の強力なアタックに欠かせない中心選手だ。

2歳年上のファウルア・マキシ選手(4年=同右)とは幼なじみで、実家は隣同士。そのフィフィタ選手は「マキシさんは激しいプレーが持ち味で、子供のころから地元で有名な選手。ずっと憧れの先輩だった」と話す。

高校時代、日本航空石川高校へ留学したマキシ選手を追いかけるように、フィフィタ選手も同校へ。当時、体が小さかったことから、マキシ選手と共にウエートトレーニングに励んだという。

高校卒業後は、マキシ選手が在籍する天理大ラグビー部へ。憧れの先輩と思い描いた夢を叶えるため、練習に明け暮れた。

今年、帝京大を倒して迎えた決勝の舞台。天理大が1トライ差で追うなか、最後のワンプレーでフィフィタ選手が痛恨の落球。肩を落としてロッカールームに帰ると、真っ先にマキシ選手が声をかけた。
「来年こそ絶対に日本一を取れ。あとは任せた」

憧れの先輩から、共に描いた夢を託されたフィフィタ選手は「マキシさんの激しいプレーを受け継いで、また来年、この決勝の舞台に戻ってきたい」と力強く語った。

明治大ラグビー部創設者は旧制天理中OB

天理大と明治大の両ラグビー部は、それぞれ1世紀近い歴史を持つ。実は、明治大ラグビー部には、天理との浅からぬ縁がある。
日本に初めてラグビーが持ち込まれたのは明治7年。32年、慶應義塾大学ラグビー部が創設されたのを機に、各地の学校でラグビー部が相次いで誕生する。
大正10年、明治大予科2年生だった旧制天理中学校OBの能美一夫氏は、訪れた慶應大のグラウンドで初めてラグビーを見た。当時、柔道や相撲、馬術に親しんでいた彼は「ラグビーこそ男のスポーツ」と感銘を受け、12年、仲間を誘って明治大ラグビー部を創設。初代主将となった。
明治大ラグビー部の初の夏合宿は同年、能美氏の母校・天理中で行われた(翌年も実施)。中山正善・二代真柱様は、これについて「卒業生の能美君がマネージャーで連れて来たのでしたがこの明大の連中が蹴り上げた楕円球がこの運動場での始球式であった(中略)明大のラグビーもこの運動場を揺籃としたかと思うとちょっと懐かしい思いも致します」(『蹴球十年史』)と述べられている。
天理中(現・天理高)と天理外国語学校(現・天理大)にラグビー部が創設されるのは、その翌14年であった。

天理時報天理時報1月27日号 掲載