音をつなぐ-幸せへの四重奏vol.17
元渕 舞

長女・さくらの小学校入学前、母が日本から懐かしい靴を持ってきてくれた。この黒のエナメル靴は、一番上の姉が小学校入学のときに両親が買ったもので、姉二人と私が履いた後、姉の長女と次女が履き、わが家でも長女と今年小学校入学の次女が履いた。それでもまだきれいで、これからも姪の子供が生まれるまで大切にとっておくつもりだ。
この春、母がまた懐かしい靴を持ってきてくれた。私が留学したときに、演奏会などで要るだろうと買ってくれた靴だった。何度も履いたのに、まだ新品のようだ。それを、背が高くなった私の長女が履いているのを見て、なんでも次の世代へ残すということが、どれだけ大切なことかと思った。
楽器も、これから何百年もいい音が出るようにとの思いで作られていて、いまだに材料は昔のままだ。弦楽器の場合、楽器の板の接着には、昔ながらの「にかわ」を使っている。何百年も生き残ってきた楽器には、ずっと先を見据えた職人の魂が感じられる。
私はレッスンの際、生徒の間違った音は必ず指摘する。しつこく、ちゃんと間違いが直るまで何度でも言う。間違いをなくすというより、間違った音で覚えてしまったら、この生徒が将来指導者になったときに、耳で聴いて指摘できなくなるからだ。私の先生方も厳しかった。私は自分の生徒たちに、「私の孫弟子のことを思って言っているのよ」と、よく言う。
音は一瞬で消えてしまう。でも演奏者は、その音が鳴った瞬間を大切にすることで、音と時を紡ぎ、つないでいるという感覚を味わうことができる。音と時間は、そのときにしか存在しないのだ。
自分の演奏がマンネリ化していると感じたとき、私は、私が教えている音楽院の横の交差点を思い出すことにしている。一日に何度も渡る交差点だ。いつもと変わらぬ風景でも、その場に居合わせた人が同じであることは二度とない。この一瞬だけだ。どの人も何か目的を持って、その時間にその場所に居合わせたのだ。その偶然に気づくと、いつもの光景が今しかない大切なものに思えてくる。
音をつくる職人である演奏家は、この音が将来どこまで人の耳に残るのか、そこまで見据えていないと、心に残る演奏はできないのではないかと思う。私はそのことを次の世代へつなげていくことが自分の使命だと思っている。そして、次の世代もまた、その次の世代につなげていってほしいと願っている。
天理時報2018年12月16日号掲載