宗教から見た世界 「我らが貴婦人」の火災
島田 勝巳
4月15日に起こったパリのノートルダム大聖堂の火災は、世界中に大きな衝撃を与えた。世界遺産にも登録されるパリの代表的な観光名所で、年間約1300万人が訪れる寺院だ。
「ノートルダム」(Notre-Dame)とはフランス語で「我らが貴婦人」、つまり「聖母マリア」を意味する。ノートルダムの名を冠する寺院は、パリのほかにも、フランス国内をはじめ、他のフランス語圏の都市にも存在する。その中で、パリのノートルダムが傑出した人気を博してきたのは、ひとえにその地の利と歴史にあった。
「パリはセーヌの賜物」といわれるが、ノートルダム大聖堂は、セーヌ川の中洲、シテ島にある。シテ島は、地理的にも歴史的にもパリの中心であり、そこに聳えるこのゴシック建築の傑作は、まさにパリの象徴そのものである。
この大聖堂が起工された12世紀中葉は、北西部ヨーロッパで、大規模かつ壮麗なゴシック様式の聖堂が相次いで建設された時代だった。11世紀以降、ヨーロッパでは都市の人口が急激に増大し、大開墾が展開されていた。それ以前は「森の王国」であったヨーロッパで、都市が急速に発展する一方、そうした都市の外部に鬱蒼と広がる森を切り拓いていった。ゴシック建築の荘厳な教会堂は、北西部ヨーロッパの都市とともに誕生したのだ。
ゴシック建築の特徴は、尖塔アーチによって天井部分の圧力を垂直方向にまとめ、それを柱に導き下ろすという点にある。そのため、横の圧力を支える分厚い壁が不要になり、多くのステンドグラスをはめ込むことが可能となった。
こうしたゴシック寺院に、人工の森の姿を見る歴史家もいた(木村尚三郎著『西欧文明の原像』)。聖堂の重い扉を開くと、ひんやりとして薄暗い森のような空間が広がる。天井に向かって高く伸びる石柱は、まるで自由に躍動する若き樹木のようだ。福音書の物語を描いたステンドグラスから入る陽光は、まさに暗い森に差し込む木漏れ日ではないか……。
キリスト教において、光は神の象徴であり、美の源泉であった。中世ヨーロッパのキリスト教は都市の外部に広がる森を開拓する一方で、都市の只中には大聖堂という「森」を造ったといえるかもしれない。
修復されるノートルダム大聖堂は、こうした森のイメージをいかに残すのか、あるいは変えるのか——。このゴシック寺院の端正な面持ちを再び眼にすることができる日を、ぜひ期待したい。
天理時報2019年4月28日号掲載