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Special Interview

ダイエットにも効果あり? メダリストが考える「自分のイメージ」育てること

武田 美保シンクロナイズドスイミング オリンピックメダリスト

武田美保

 未知の世界へ踏み出す人、新たな分野を切り拓く人には、心の支えとなる強さや信念があるもの。元シンクロ選手として、妻として、そして母として、いま第二の人生を歩む武田美保さんに、強さの〝源〟を聞いた。

――2004年のアテネ五輪後に現役を引退、現在さまざまな分野で活躍されています。シンクロコーチなどの仕事には、どんな姿勢で臨んでいますか。

 シンクロは、競技人口からしても、いまだマイナーな競技です。現役時代はシンクロ一筋だっただけに、引退を決めてからは「私には何ができるのだろう」と、ずっと自問していました。
 そんななか、周囲の人に勧められて自分の経験を講演でお話ししたとき、聴いてくださった方々から「諦めかけていたことを、自分もやり遂げようと思う」と言っていただいたんです。
 正直なところ、シンクロの技術が社会で役立つことは、ほとんどありません。だから、そのような感想を頂いたとき、私が社会に存在する意味というか、「これまでやってきたことは無駄じゃなかった」「私の経験が誰かの役に立つんだ」と実感しました。そこから、第二の人生に何をすべきか、見えてきたように思います。

思い描けなかった「最高の舞台」

――著書の中では、「イメージすること」の大切さを説いていますね。

 はい。特にダイエットアドバイザーとしてお話をするときに強調しています。具体的には、ダイエットを望む人に、まず、いまの自分の体型を細部までイメージしてもらうんです。ウエストの輪郭や後ろ姿など、案外、多くの人は自分の体型をぼんやりとしか思い描けません。自分を知らないということは、〝理想とする自分までの距離〟が分からないということですよね。それでは具体的な道筋が見えません。
 これは外見だけではなく、人の内面にも言えると思うんです。私自身、そのことを痛感したのは、1996年に初めて出場したアトランタ五輪でした。
 オリンピック出場を目指してきた私は、何がなんでも代表選手に選ばれたくて、最終選考会に持てる力のすべてを注ぎました。運良く選出されたのですが、その日以来、本番当日まで〝心ここにあらず〟の状態で。結果的に、銅メダルを取ることはできましたが、チームに迷惑をかけてしまいました。
 あとで振り返ったとき、当時の私は代表選手としてのイメージが持てていなかったことに気づきました。だから、夢の舞台でどんな演技をすればいいのか分からず、自分の感情も整理できていなかったのです。
 そのときの苦い経験は、いまも役に立っています。仕事がうまくいかないとき、「このモヤモヤ感は何が原因なのか」「いま感じている不安は、私が準備不足だからじゃないか」という具合に、感情を整理して考える力が身に付いたように思います。

「〝プロフェッショナル〟になってやろう」

――井村雅代コーチの指導は非常に厳しいことで有名ですね。印象に残っていることは。

 長年、立花美哉さんとデュエットを組んでいたのですが、決められた通り正しく泳いでいるつもりなのに、私ばかり「合っていない」と指摘されたことがありました。
 持ち味が異なり、身長差もある先輩と動きを同調させるのは難しく、成果が挙がらない中で「人格的に好かれていないからだ」とさえ思いました。けれど、負けず嫌いな私は「〝プロフェッショナル〟になってやろう」と思ったんです。パートナーがどんな腕の角度で、どんなタイミングで演技しようが、「全部〝私が〟合わせてやる」と心に決めました。
 そう受けとめ方を変えたら、とても気持ちが楽になって、シンクロが面白くなったんです。井村先生は数多くの選手を育ててこられた方です。私が変わろうと、必死にもがいてるのを見抜いて、「そうや、それを待ってたんや」って。まさにスパルタ方式で育ててもらったと思います(笑)。

――2007年に結婚され、現在は一児の母として子育てをしながらのコーチ業です。子育てと仕事について、どのようなことを感じていますか。

 若い選手の育成に携わるようになって、コーチの仕事と子育てを両立する難しさをあらためて感じます。指導中は誰かに子供を預かってもらわなければなりませんし、いまの日本には、子育て中の女性が働くうえで、まだまだ多くのハードルがあると思います。子供は社会全体で育てるもの、という考えを皆で共有できるようになれば素晴らしいと思いますね。
 子供のころ、私は母に、その日の出来事はもちろん、シンクロ選手としての将来像や自分の課題など、どんなことでも逐一話していました。母がいつもそれを真剣に聞いてくれたことが、先ほどのイメージングの原点になったと思いますし、いまの私を形づくってくれたと思います。母がしてくれたように、息子にも自分の未来をイメージできるようにサポートしたいですね。
 どの家庭でも同じだと思いますが、夫も私も、子供がいるから頑張れていると断言できます。未来を担う子供たちがそれぞれの力を発揮できるように、親としてできることをやっていきたいと思っています。

天理時報2015年6月21日号掲載

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【たけだ・みほ】1976年京都府生まれ。7歳からシンクロを始め、13歳で井村雅代氏が代表を務めるシンクロクラブへ移籍。立花美哉氏とデュエットを組み、日本選手権7連覇。アトランタ、シドニー、アテネの3大会で、立花氏と共に日本人女性最多となる計五つのメダルを獲得した。引退後は、若手選手の指導やダイエットアドバイザー、政府有識者会議の委員など、多方面で活躍中。夫は鈴木英敬・三重県知事。