心が燃え尽きてしまった…

30代男性ようぼく
商社勤務

大きな仕事を任され、1年ほど前から全身全霊を傾けて打ち込んできました。先日ようやく、ひと段落ついたのですが、その後、心が燃え尽きてしまったのか、仕事に対するやる気や意欲が湧いてきません。新たな仕事にも「なんの意味があるのだろう……」と感じてしまいます。

約1年間、全力で仕事に打ち込んできたとのこと。お疲れさまでした。大きなプロジェクトを任され、おそらく残業なども度重なったのではないでしょうか。
教祖は「自分の仕事であると思うから、夜昼、こうしよう、ああしようと心にかけてする。我が事と思うてするから、我が事になる」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』197「働く手は」)と、お聞かせくださいました。きっとあなたも、そうした心で、任された仕事に対して正直に真剣に取り組んできたのだと思います。
けれど、「なんの意味が……」と、その後に不足の心でいては、せっかくの働きも親神様に受け取っていただけません。仕事は誰のためにするのか、なんのために〝はたらく〟のか、見失っていませんか? そうした思い違いが、いまの喪失感を生んでいるのではないでしょうか。

確かに、そうかもしれません。思いきって仕事を変えてみれば、自分の中に何か変化が起きる気がするのですが……。

私は、転職を考える際の一つの基準は”はたらく”ことの意義を理解しているかどうかだと考えています。今後のキャリアを気にするなど、自分にばかり目線が向いていては、何度転職しても物事はうまく運ばないでしょう。仕事の意義は、自分で求めなければ見つからないものです。
教祖の「はたはたの者を楽にするから、はたらくと言うのや」というお言葉を十分に理解すれば、「誰かのために何ができるか」という方向へと、意識が変わっていくと思います。
回答者:道友社前社長 西浦忠一
天理時報2015年8月23日号掲載
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