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掃除で「心を磨く」 ようぼく経営者に〝熱視線〟

石野 千尋中国広東省の日系企業社長

石野千尋

 中国南東部の都市・広東省東莞市。香港や大都市・広州にも近く、多くの日本企業が進出しているこの街に、中国全土から注目を集める日系企業がある。「東莞田中光学科技」。総経理(社長)の石野千尋さん(41歳・高篠分教会教人)のもとには、昨年だけで中国国内の企業経営者ら約2千人が社内見学に訪れた。秘密は「感謝 慎み たすけあい」を合言葉に掲げる経営理念と、従業員に浸透しているひのきしんの精神にあるという。

 香港から高速道路で2時間。人口650万人の東莞市は、ソニーや日立といった日本を代表する大手企業など、外資系企業1万5千社の高層ビルが立ち並ぶ経済都市だ。
朝8時。「おはようございます。では、始めましょうか」

 出社した石野さんが、まず向かった先は男子トイレ。ホースで水を撒き、雑巾を手に腕まくりをして便器を一つずつ磨いていく。
 東莞田中光学科技は、日系の電子部品メーカー。主力製品は、スマートフォンや車載カメラに不可欠な赤外線カットフィルターだ。現在、社員は約80人。その全員が毎朝、社内を隅々まで掃除する。幹部社員も、腰をかがめて床を拭き上げる。

 「中国では労働者の意識がはっきりしていて、職場の掃除を自らする人は、まずいない。うちの会社は、かなり珍しいと思います」
 その言葉通り、同社の見学に訪れた企業関係者は昨年だけで1千800人。9割が中国人企業経営者だ。「どうすれば(社員に掃除を)させられるのか」「どうやって従業員をまとめているのですか」。そうした質問に、石野さんは丁寧に答えていく。「人の心は、そう簡単に変えられるものではない。本人が『変えよう』と思うまで、行動で示し続けるしかない。その最も良い方法が、掃除なのです」

八方塞がりのなか徳積みを

 信仰3代目。ようぼく家庭に生まれ育ち、天理高校第2部へ進んだ。卒業後、秩父大教会での青年づとめを経て、埼玉県に本社を置く㈱タナカ技研に就職。青年づとめ中に海外布教を志して赴いた同大教会タイ布教所での経験を買われ、同社の中国工場に赴任した。

 2011年には副工場長に。唯一の日本人として経営に当たるなか、昨年には工場の独立経営を打診され、日系企業の社長となった。
 「赴任した当時、従業員は皆、自分の権利を主張するばかりで向上心もなく、それが業績にも表れていた。製品の質が悪く、取引先からのクレームは毎月20件。その場では修正するが、すぐに同じミスが出る。どうすればいいのか、全く分からなかった」と振り返る。
 レクリエーションを行ったり、特別ボーナスを支給したり……。立て直しに奔走したが、どれもうまくいかなかった。挙げ句、「石野は黒社会(やくざ)の親分だ」と書かれた怪文書まで出回った。
 「従業員のことばかり考えていたのにショックだった。八方塞がりで、孤独だった」

 そんななか心に浮かんだのが、社内の掃除だった。
 「教会で聞いた『八方塞がりでも天は開いている』という言葉を、ふいに思い出した。親神様・教祖に心を向けて考え直し、自らの徳積みとして、藁にもすがる思いで行動に移した」

「心が通じた」生産性4倍に

 メンツを重んじる中国社会では、組織のトップが掃除をすることは、多くの場合、快く思われないという。
 「頼むからやめてください」。まずは一番汚いところからとトイレの便器を磨く姿に、当初は従業員から非難や嘲りの声が上がったという。
 「これは俺の趣味だと思ってくれたらいい。やりたいから、やっているんだ」
 そう言って、半年間欠かさず続けた。

 「メンツやプライドに縛られていたら何も変わらない。上っ面の改善ではなく、心が変わらなければ、この会社はダメになる」
 そんな危機感があった。一人黙々と掃除を続ける石野さんに、当初は近づきさえしなかった従業員の中に、徐々に賛同する人が増えていった。2年が経つころ、全員が雑巾を手にするようになった。

 「それはうれしかったですよ。国や文化が違っても、感謝の心、ひのきしんの態度は人の心を変える。教えは通じると確信した」
 現在、クレームはほぼゼロに。生産性は約4倍に上がった。高品質な製品を提供し、多くの取引先から信頼を取り戻すとともに、その〝劇的な改善〟の様子が経営者らの間で話題となり、見学依頼の電話が鳴りやまなかった。

 「実は」と石野さんが言葉を継いだ。一人で掃除を始めた当初、本社から日本への帰国を打診されたという。
 「中国へ渡る直前まで、大教会の鼓笛隊でドラムメジャーを務めていたんです。最後に臨んだ『こどもおぢばがえり』の『鼓笛オンパレード』で、念願の金賞を頂いた。皆で泣いて喜んだ、あのときの達成感が忘れられず、いつか中国で鼓笛隊を作って『おやさとパレード』に出演することを〝将来の夢〟にして頑張ってきた。ここで帰ったら、夢が終わってしまう。そう思って、帰国の打診を断りました」
 中国の現体制下では、お道の教えをそのまま伝えることはできない。「それでも私の会社から、私自身から、教えがにじみ出るような、そんな経営者になりたい」
 従業員たちと一緒に、いつか夏のおぢばにーー。石野さんのそんな思いが、教えに基づく経営スタイルを中国の地に根づかせようとしている。

文=安藤智郎

天理時報 2017年9月24日号掲載