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〝ポスト・トゥルース〟時代のリテラシー

島田 勝巳天理大学宗教学科教授


 「ポスト・トゥルース」(post-truth)。昨年、オックスフォード英語辞典は、この言葉を「今年の単語」として選出した。これは「真理がもはや議論の前提としての意味をなさなくなった」ことを意味するという。作家の池澤夏樹はニーチェの顰に倣いつつ、些か悲観的に、この言葉に「真偽の彼岸」という訳を当てている。
 昨年のEU残留の是非を問う英国の国民投票や米国大統領選では、ソーシャルメディアの浸透によって、大手メディアや既得権層から提供される情報が〝事実〟としての信憑性を失ったとされる。実際にトランプ大統領は、既成メディアの情報を「フェイク(偽の)ニュース」と呼ぶ一方で、自らは連日のように、明らかに事実でないことを、あたかも事実であるかのように呟いている。これに対し大手メディアは、大統領の発言の信憑性を精査する「ファクトチェック」の手法を強化している。
 メディアの情報は〝事実〟を根拠としている。だからメディアは、トランプ氏との対立を「事実vs思い込み(偏見)」の対立と見なす。だが、そもそもトランプ氏自身は、メディアの情報を事実として捉えてはいない。だから彼にとってこの対立は、「ある(偽の)事実vs別の事実(オルタナティブ・ファクト)」の対立ということになる。つまり、「解釈(語り)vs解釈(語り)」という構図として捉えられているのだ。これが、池澤の言う「真偽の彼岸」の時代性である。
 昨今この問題が取り上げられる場合、その多くはツイッターに代表される情報の発信側に着目している。だが情報の受け手側に視線を向けると、この問題はかなり異なった様相を呈してくる。
 社会の出来事を知るとき、私たちはメディアの情報に頼る。同様に、身の周りで起こることを知る場合、身近な人からの情報に頼ることが多い。だが、そうした情報は、噂話のように、明確な根拠を欠く場合も少なくない。それでもそうした情報を、私たちが通常正しい情報として受け取るのは、メディアであれ友人であれ、その情報源を暗黙裡に信頼しているからである。詰まるところ、人の日常的な認識のあり方は、実は価値に、さらには感情に深く根ざすものとさえ言えるだろう。
 「真偽の彼岸」としての〝ポスト・トゥルース〟の時代は、私たちのリテラシー(自らの力で情報を得、それを適切に利用・活用する力)が試される時代でもある。それは容易いことではないが、少なくとも、こうした〝人間の認識のあり方自体をめぐる省察〟が、先入観や固定観念の回避や緩和につながる可能性はある。そのような省察的な思考が、ひいては私たちのリテラシーの〝バージョンアップ〟の第一歩となるように思われる。

天理時報2017年3月19日号掲載




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