宗教から見た世界 米国のパリ協定離脱と法王の失望
島田 勝巳

6月1日、米国のトランプ大統領は「パリ協定」からの離脱を表明した。
パリ協定は、1997年に採択された「京都議定書」に代わる地球温暖化対策の国際協定として、2015年12月にパリで採択、昨年11月に発効された。
この協定は、年々深刻化する世界の平均気温の上昇を抑えるため、先進国だけではなく、すべての国が温室効果ガスの排出削減に取り組むという画期的な合意であった。CO2排出量世界第1位の中国と第2位の米国がそろって締結したことで、発効への動きが促進された。
ところがトランプ氏は、オバマ政権が推進したこの協定締結を、米国の産業や雇用に不利益を与えるものとし、自国の石油・石炭産業を助けるという自らの公約を盾に離脱を発表したのである。これに対し、国連や各国首脳のみならず、カトリック教会からも大きな落胆の声が上がった。
以前から環境問題に強い問題意識を示してきたフランシスコ法王は、トランプ氏が5月末にバチカンを訪問した際、気候変動の危機と環境保護の重要性を説いた自らの「回勅」のコピーを手渡している。米国の協定離脱表明は、そのほんの数日後のことだった。法王はこれに大いに失望し、バチカンの高官も「平手打ちを食らった感じだ。人類の災厄だ」と厳しく批判した。
今回のトランプ氏の決断も、すでにおなじみとなった「取引(ディール)の哲学」に基づくものである。だが、事が地球全体の未来に関わる環境問題だけに、そこには損得勘定に基づく自国優先主義を超えた価値や想像力が強く求められよう。これは何よりも、現在の世界各国の連携を意味するだけではなく、人類の未来の世代との連携をも意味する問題だからである。
法王はまた、環境問題のみならず、グローバル資本主義によってもたらされる貧困や差別といった不平等と社会的不公正に対しても、かねてより強い警鐘を鳴らしている。
飽くなき人間の欲望に歯止めをかけるために、伝統的な宗教が持つ文化的・価値的資源は、現代世界の中でいかなる意義を発揮できるのだろうか。いまなお宗教には、未来に向けた、真に地球規模の価値や連帯の感覚を創出する力があるのだろうか。いま、あえて問い直したい。
天理時報2017年7月2日号掲載